「SNSのいいね数比較に苦しまない」唯一にして本質的な方法とは?

僕はSNSが嫌いである。ほとんどのSNSには「いいね数」が当たり前のように表示される機能が搭載されている。これが本当に苦手だ。単純に、いいね数で比較してしまうからだ。思い込みで比較して、必要以上に落ち込んでいるとか、そういう話でもない。実際に、僕は周囲の人よりいいねが付きづらく、いいね数が少ないという現実がある。僕が少し変な性格をしているのもあって、いいね数という形で周囲からの反応を見せつけられるのは本当につらい。X(Twitter)であれば、共通のフォロワー同士でいいねし合って、僕だけいいねされないというのは日常茶飯事だ。特にDiscordは最悪である。人それぞれフォロワー数に差があるXと違い、見ている人数が同じという条件で、いいね数が2倍も3倍も違うというのは、もはや新手のいじめのように思えてくる。最近はもう本当に、毎日このことが苦痛で、なんとか生きているという状況だった。普通は、ここまで来たらSNSをやめるべきなのだが、僕だけSNSをやめてもしょうがない。僕が孤立化するだけだからだ。タイムマシンで20年前に戻るか、法律でSNSを全面禁止するなどしなければ、やめるデメリットの方が大きいのは変わらない。

そんな感じで、僕はSNSが嫌いである。SNSが嫌いではあるが、現在もやっていないわけではない。SNSをやらずに、生きていける人など、そんなにいるのだろうか。中年の方の一部や、高齢者の方なら生きていけるかもしれないが、現在20代である自分にとって、SNSを使わない生活というのは想像だにできない。これは僕がSNSに洗脳されているからではなく、僕の年代ならほぼ真実と言えると思う。なぜなら、僕自身がこれまでに、何度も何度も、何十回も、SNS断ちを試みてきたからだ。「SNSはメンタルヘルスに有害」「一日何時間で抑うつ的傾向が」そんな話をいやというほど聞いたし、なんなら自分から研究結果を調べるなどして、本気でSNSと自分のつながりを断ち切ろうとした。アプリ消すだけではない。スマホをタイマー式のロックボックス(タイムロッキングコンテナ)に入れたり、iPhoneのスクリーンタイムというアプリ制限機能を厳格に運用し、SNSを厳しく制限したこともある。結果、わかった結論は、ただ一つ、シンプルなものであった。「SNSは使うのも辛いが、使わないのはもっと辛い」

数々の対策と失敗

他にも僕がSNSで苦しまないために、様々な思考法や対策を試してきた。そしてその全てに失敗してきた。それらの方法を1つずつ見ていこう。

(失敗)いいね数なんか気にしない、他人に期待しない

一般的に一番よく言われている対策法(思考法)だが、これは、数々の意味のない対策の中でも、もっとも意味のない対策である。どちらにしろ意味がないから同じなのだが、発想そのものに何となく嫌悪感を感じるという点で、他の方法と比べてもっとも価値のないものだと言えるだろう。もちろん、ある程度まで他人への期待値を下げるというのは可能である。しかし、下げたところで、目に見えるほど苦痛が減ったとは言い難かった。それに、他人への期待値を下げるというのはSNSで繋がっている人たちにも何となく伝わるものなのだろう。次第に周りからも期待されなくなって、ドライな関係が増えていき、精神的に孤独化は進んでいく。総合的に見て、メンタルヘルスを悪くする、最悪の方法だった。

(失敗)繋がる人を厳選する

次に言われている方法がこれかもしれない。要は、ブロックなどの機能を利用して、繋がる人を絞ればいいじゃない、という方法である。しかし、この方法は実際に迷惑が掛かる人が多数出るため、非常にリスクが高い。それに、このようなハイリスクの方法を強行したとしても、自分にとっての理想郷が手に入るとは言い難かった。なぜなら、絞るということは、絞った上で残った人への依存度が上がるということだからである。相手からしてみれば、重いと感じるかもしれない。もちろん、重いからこそ嬉しいという人も中にはいるのかもしれないが、そのような関係は健全とは程遠いと思う。絞れば絞るほど、全体としてのいいね数は減っていき、残ったいいねの重みが増していく。

(失敗)いいね数を非表示にする

PCのブラウザなどでSNSを見ている場合、いいね数を非表示にできることがある。多くの場合、それは公式の機能ではなく、拡張機能という名のツールを使って、強制的に非表示にするのだ。確かに、一時的に少しだけ効果があったかもしれない。しかし、すぐにいいね数が気になってきて、再表示してしまった。人間、というか僕の意志力は本当に弱いのだなと思った。また、公式の機能ではないので、環境や機種を変えたり、初期化した場合は、また設定し直すことになる。特に、スマホだと非表示が困難なのは問題である。何かの拍子にいいね数が再表示されてしまうのを繰り返していると、いつの間にかいいね数を表示したまま放置するようになってしまった。思考を変えたり、厳選するよりはましかもしれないが、どっちかというとあまり効果がなかった。

苦しみ続ける毎日、そして閃きへ

上記のように、数々の方法を試しては、失敗してきた。そして、僕は、苦しみ続けた。何日も、何か月も、そして何年も。なんでこんなにネットが普及してしまったんだろう。ネットなんてなければよかったのに。僕は本当に苦しみ、悩んだ。苦しみぬいた。具体的にどれくらいの苦痛だったのか、どれくらいの期間だったのか、もう思い出せない。思い出したくもない。しかし、ある時、というか今日の昼頃、ちょっとしたことで、大きな転機が訪れた。誰かに助けてもらったとか、治療を受けたとか、そういうのではない。閃きである。よく哲学が好きな人が、人生や哲学で悩んで悩んで、ある時全てが腑に落ちた、なんて話をたまに聞くが、感覚としてはそれに近いかもしれない。僕自身も、この閃きによって、全てがストンと腑に落ちた感覚を味わった。どんな閃きだったのか。次の章で説明する。

自分の人生には価値がない

長く苦しんで、僕がたどり着いた結論とは、「自分の人生には価値がない」ということである。言葉通りの意味ではあるが、単純にうつ病の人や、人生に困窮した人が、絶望の果てに口から出るようなニュアンスではない。そのようなひっ迫した状況なのであれば、SNS以前に病院に行くべきである。どっちかというと、「自分の人生そのものには価値がないのだから、いいねが付かないのは当たり前。いいねを増やしたければ、自分に価値を付加していけばいいし、それが面倒なら、そのままでいい。」ということである。単純に、人間は世界に70億人もいるのだから、僕は数いるコピー人間の1人でしかないのだ。むしろ、うじゃうじゃいて見分けのつかないコピー人間に、いいねが付く方がむしろありがたいのかもしれない。最近はよく、「皆さんは生きているだけで価値がありますよ」などというフレーズが、怪しい自己啓発セミナーや、新興宗教だけではなく、精神科医までもが口にするようになっている。僕も、その言葉を信じていたが、このような発想は、自らのプライドをいたずらに肥大させるだけで、長期的にはかえって苦痛を増幅させてしまうのではないかと思う。簡単な話で、他人からの評価が自分自身の評価より低かったら苦痛だが、もともと自分自身の評価が同じくらい低ければ、苦痛を感じる理由は消滅するのだ。つまり、謙虚になれば、他人にも自分にも優しくなれるということなのである。

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