海外移住を諦めた(ポジティブに)

以前(というかだいぶ昔)に僕は「オーストラリアに移住(ワーホリ)したい」と書いていた。だがそれはもう諦めた。もう長いことこのことに関する記事を書いていなかったので、お察しの読者もいたかもしれないが、もうなんの努力もしていない。英語だけは細々と勉強しているが、細々と英語の勉強をするだけでは移住する頃には僕はおっさんか爺さんになっているかもしれない。だからもう言ってしまうと、諦めた。今後気持ちが変わる可能性が0だとまで言い切るわけではないが、熟考の上での結論なので、変わる可能性は低いだろう。それでは、なぜこの結論に至ったかを、説明していきたいと思う。


海外移住を諦めた理由

余裕がない

僕には移住するだけの余裕がない。それは、体力的な面でもそうだし、コミュ力とか、経済力で言ってもそうだ。現状、日本ですら普通の水準の生活ができていないのにも関わらず、海外に移住するだなんて、きっと僕のガールフレンド(イマジナリー)が聞いたら鼻で笑われてしまうだろう。そもそもリアルのガールフレンドが作れない僕に、日本以上にコミュ力が求められる海外なんか出た日には、またメンタルを病んでしまうに違いない。ホームシックとはよくいうが、僕が経験した不登校とは比べものにならないくらい深刻なのだと思う。帰りたくても、帰る場所がないからだ。僕はそろそろ、自分の生活水準を現実的に直視し、現実的な人生設計を立てなければいけない。ほら、反面教師にすべき政治家もいるだろう。非現実的な理想論ばかり語る(諸事情によりカットされました)みたいな人物が。

クレカもない

オーストラリアはクレカ社会らしい。何をするにもまずクレカとのことだ。僕はクレカを持っていないし、金遣いの荒さゆえ持ちたくないので、これは大きな障害となった。

異なる法律(特に成人向けの画像所持について)

ぶっちゃけクレカが必須なんてことはまだいいのだ。本当に必要になったら、その時作ればいい。僕の収入でも、血眼になって探せばどこか発行してくれるところは見つかるだろう。そうは言っても、これだけは譲ろうにも譲れない、という物事は確かにある。そう、男性諸君(もしくは女性諸君?)にはわかるだろう。アレな画像くらいは持ちたい、という話である。オーストラリア含む欧米各国(というか欧米に限らないらしいのだが)は日本人が衝撃を受ける程度にはそういったものに厳しい法規制がされている。特にオーストラリアは、そう言ったものの法規制では先進的(というか後進的?)な国である。びっくりするのは、具体的な被害者がいるであろう三次元の画像に限らず、二次元の画像ですらローカルで所持しているだけで危険らしい。今更持っている画像を捨てろと言われても困る。僕が作り上げた図書館は歴史の資料館であり、人間の根源的な喜び記録し続ける、偉大な空間である。潰すということは文化的な破壊を意味する。容認することはできない。

治安の不安や、言語の学習コスト

先ほどもさらっと書いたが、僕は英語を細々と勉強している。やはり海外に出るには必須なのは間違い無いと思うからだ。オーストラリアはそこまで治安が悪くないが、東南アジアとかに行った場合、日本語しか話せないとカモにされたりすることもあるらしいし、犯罪被害にあったときに大変なことになってしまうかもしれない。そういうのもあって、僕は英語を勉強していた。だが、先ほども書いた通りオーストラリアをはじめとするネイティブ英語圏は全てアレな画像に厳しいし、かといって東南アジアもそこまで英語が話されているわけでも無いらしい。東南アジア三大英語圏であるマレーシア、シンガポール、フィリピンにしても、マレーシア人は基本的にマレー語か中国語で、こちらが英語だけだと少し不便する程度の英語力らしいし、シンガポール人は英語力はあるものの、普段の会話などは基本的に中国語らしいし、フィリピンは確かに国内の共通語として英語が広く使われているものの、治安はヤバいとのことだ。そうして考えてみると、僕は英語をせっせと勉強したところで、英語が使われていてかつ、理想的な国なんかどこにも無いんだな、とふと感じてしまって、萎えてしまった。もちろん、中国語の勉強を始めつつ、マレーシアやシンガポールに目を向けるという手もあるのかもしれないが、語学学習というのはそう簡単に目移りして上手くいくものでも無いと思う。なぜなら、どの言語であれ、まともに使えるようになるまでには、軽く数千時間を投じる必要があり、正直なところ一つの言語を浮気せずに集中的に極めた方が、最終的なコスパはいいと思うからだ。そもそも、僕は英語ですらまだ話せるようになったとは言い難いレベルであり、切り替える以前の問題である。

NISA・障害者福祉などの素晴らしい制度を捨てることになる

僕は発達障害と精神障害を抱えており、多くの福祉サービスを受けている。本当に助かっている。日本の福祉は世界最高だとか、北欧に比べて遅れてるとか、色々言われてはいるものの、少なくとも僕のケースでは、日本以上に素晴らしい福祉を受けられる国はないと思っている。また、最近よく聞くNISAというのも、そこまで調べてはいないのだが、素晴らしい制度だと思っている。当然ながら、この両者とも、日本国外に出てしまうと基本的にはストップしてしまう。海外に移住するというのは、新しい場所での新しい発見とか、海外の経済成長の恩恵とか、それだけの話ではなく、日本で当たり前だったことをそれなりの数捨てなければならないことを意味する。日本政府としては、海外に移住した人の面倒まで見る義務はないので、当然と言えば当然かもしれない。そもそも、僕みたいに福祉をじゃぶじゃぶ受けているような人間を、受け入れたいと思う国はそうそうないだろう。

日本でも綺麗な海は見れる

以前の記事で、僕がオーストラリアにいきたいと言った一番の理由は、綺麗な海が見れるから、と言った。そうは言っても、綺麗な海を見るだけなら、いろんなところで見れることに気づいてしまった。日本では絶対見られない、南国の国でしか見られないイメージのあったエメラルドグリーンの海でさえ、沖縄本島よりさらに南の島に行けば見れてしまうし、なんだったら、僕の住んでいる東京からでも、すぐに行ける海がきれいな南国もある。そう、伊豆諸島(小笠原諸島)である。これらの離島は、どういうわけか、障害者手帳を見せることで運賃が半額になったりするようだ。福祉が進んでいる東京都の管轄だからだろうか?小笠原諸島まで行かなくても、八丈島まで行けばもうすでに南国の風景らしいし、伊豆大島であれば日帰りも見えてくる移動時間だ。まぁもっと言ってしまうと、わざわざ離島に行かなくても、本州で海が綺麗なスポットはあるらしいのだが…。

日本は良い国だ

少し右翼的だと感じられる人もいるかもしれないが、実際日本は良い国だと思う。経済的には30年間停滞しているものの、まだまだトップレベルに裕福な国であり続けているし、世界トップレベルの治安を維持し続けている。もちろん、100年後には日本は発展途上国に脱落していたり、治安や格差が悪化している可能性はそれなりにあるだろう。そうは言っても、今この時代を生きている僕が、100年後のことを考える必要などあるのだろうか?先進国に生まれ、なんの不自由もなく先進国の国籍を得られたことに感謝しつつ、この国の経済で自分が成長していくには何をすればいいのかを考えた方が、よっぽど賢いということは、もはや言うまでもないのかもしれない。

やらないことをどんどん決める

ここまで、海外移住を諦めた理由を長々と語ってきたが、なぜわざわざ「あれをやりません、これをやりません」などという必要があるのか不思議に思った人もいるかもしれない。自らの可能性を捨てる非生産的な発想だと思われるかもしれない。だが、僕としてはむしろ生産的だと思っている。なんの本で読んだのかは忘れたが、「人間1人の人生でできることには限界がある。その限界というのも、思ったより早く辿り着いてしまうものなのだ。だから、やらないことを決めて、本当にやりたいことに集中すべきだ。」こういう話が印象に残っている。また、パフェットの「やりたいことリストの6位以下は捨てなさい」とい名言もあるし、「やりたいことが分からなかった人が、やりたくないことを洗い出したらやりたいことが見つかった」という話もある。ここまで書いても言い訳感は拭えないかもしれないが、僕は自分の出した結論に自信を持って、生きていきたいと思う。

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