良かった本(実用本)を紹介する

最近読んだ実用本で、感動した本があったので、ちょっと紹介してみようと思う。

「限りある時間の使い方」という本だ。タイトルからしていわゆる時間管理(タイムマネジメント)、生産性の向上を目的とした本のように思えるかもしれないが、実はその逆だ。

生産性なんか捨ててしまえ!!!!

という本である。

僕自身、この本はより高い生産性を得るために買ったところがある(無職なのに?とは突っ込まないでほしい…)。

確かにAmazonレビューには、「生産性テクニックを期待して買ってはいけない」という感じのレビューが並んでいた。

しかし、生産性という発想を捨てることで、もっと大事な何かを得られる、というレビューもあったし、何より類似のベストセラー本より圧倒的に多いレビュー数と、圧倒的な高評価率に惹かれ、あくまで実利に期待して購入した。

もっとも、自分が生産性を気にしすぎて、何か大事なものを失っているのかもしれない、と日々の生活で薄々感じていたことも、購入の後押しにはなっていたかもしれない。

本自体は、とても軽快な語り口調でとっつきやすく、海外の本の翻訳とは思えないほど日本語も自然で、ファーストインプレッションはいい感じだった。しかしこの後、だんだん不快な気持ちがこみ上げくるとは予想もしていなかった。

この本は、生産性という発想をこれでもかと否定してくる。

まず、仕事で生産性を気にすることは真っ先に否定してくる。仕事の効率を上げてもさらに仕事が増えるだけとか、むしろ余計忙しくなるとか。うんうん。確かに。僕は仕事の経験はほとんどない無職だが、多分そうなんだろうと思う。良いことを言っている、これは良い本だ。

と思っていたら、思いがけないことまで否定してきた。有意義な日常生活を送ろうとすること。"健康になるために"運動すること。"休むための"空き時間に生産的な活動を取り入れること。そんな僕が日々の生活で取り組んでいることを、真っ向からピンポイントで否定してきたのだ。

僕は自分の毎日の生活、それも廃人のような生活を、今みたいにそこそこ生産的な生活にするまでには、多大な努力を払ってきた。

色々な本を読んで、実践してきた。習慣化もそうだし、環境づくり、体調の改善などもそうだ。

それらの努力を、この本「限りある時間の使い方」は全て否定してくるのだ。

僕は読んでいて、憤りを隠せなかった。ふざけるな。最近ネットでよく見る「一生底辺の人生でも良いじゃない」みたいな投稿のような、無気力を肯定する類の本だったのか?著者の言うとおりにしたら、僕の人生はここからもう上がることは無くなってしまう。ただでさえ不幸な最底辺からのスタートだったのに、前向きに上がろうとすることすら許されないというのか?

しかも殊更に腹立たしいのが、主に哲学的なアプローチで主張が展開されるところだ。何が「有名な哲学者⚪︎⚪︎の言葉を借りるなら〜」だ。その哲学者は、現代の科学的知見より優れた考えを持っていると言うのか。

哲学なんて何千年も進歩がない学問じゃないか。こんな本は非科学的だ。もう限界だ。読むのをやめよう。

そして、半年くらいこの本は放置していた。この本を思い出すたびに、自分の前向きなマインドを汚された、という怒りの感情が込み上げたのだった。

最近になって、僕はまたこの本を読み直すことになる。

最近の僕は、一日が終わるのが早すぎると感じていた。鬱が少しずつ快方に向かっているのだろうか。やりたいことが少しずつ見つかるようになってきて、それらをやっていると、一日の時間が全然足りないということに気づいたのだ。

時間管理の本を買おうかと思った。色々なベストセラー本を物色した。そして、いくつか買いたい本がみつかった。これらの本なら、少しは助けになるかもしれない。そう思った。

しかし悲しいかな、無職の定めか、来月になる前まで本を買えるお金などなかったのだ。

来月まで待てば良いじゃない、と思うかもしれない。しかし、僕はせっかちな人間だ。やりたいことができたら、一刻も早く取り組みたい。数日待つことですら想像を絶する苦痛なのに、1ヶ月も待つことは、もはや物理的に不可能なのである。

どうにもできない現状に、ただ1人で不快な気持ちとともに悶々としていた。人間、ネガティブな感情や記憶は連鎖するものなのだろう。あの不快な本を思い出してしまったのだ。

もうあの本は読まないと決めたのだから、忘れよう。いやしかし、結局僕はまともな時間管理の本はあれしか持っていない。読むしかないのだろうか。うーん。

結局、読むことにした。まだ一回だけ途中まで読んだだけで、本の内容を理解したというには程遠いし。それに、新しい本を買うまでの繋ぎとして、「批判的に」読んでやろうという上から目線の条件付きということで、自分を納得させた。

読んでいくと、なぜか前回よりも腹落ちする部分が多かった。最初に読んだ時の記憶があるから、心構えができていたのもあるかもしれない。あるいは、あまり認めたくないが、最初に読んだ時の不快な感覚が、半年という期間を経て、自分の中に少しずつ入り込んでいたのかもしれない。

でも、言われてみると確かに現代人は生産性を気にしすぎなのだ。趣味であれ、何らかのタスクであれ、将来の何の役にもたたないことをやるのは時間の無駄。だから、生産的な活動だけをしよう。ひたすらに生産性を上げ続けるために、集中力を上げるテクニックを使おう。睡眠の質を完璧にしよう。スケジュールを完璧にしよう。

そんなことばかり意識する生活をしていると、だんだん不安になってくる。「本当にこれでベストを尽くせているだろうか?」と。

目の前のものを楽しめなくなるというデメリットもある。散歩をしていたら、目の前に美しい夕焼けが見えたのに、心は帰った後にやることにばかりに向いている。

なんとなく、自分が生きている実感がしなくなっていたり、いつも得体の知れない不安を抱えていた、というのはあったと思う。

今はこの本を8割くらい読んだところだ。前ほどではないが、やはり読んでいてムカムカしてくるのは変わらない。それでも、この本は何か、誰も気づいていない本当に大事なことを言っている気がしてならない。だって、時間管理の本とはつまり自分を変えるための本なのに、読んでいて何の衝撃も感じなければ、ぬるま湯のように、なんの印象も残らず、自分の中に何も残らないはずなのだから。

この本を一気読みしすぎて、疲れて布団から天井を見つめた時、僕は不意に、小学校低学年以来感じたことのなかった、得体の知れない安心感を感じていた。その時初めて僕は、今までずっと消えることのない不安を感じていたのだなと気づいた。

この本は、何度も読み返す価値があると思う。この本がぬるま湯のように感じるようになるまで、読み返せたら良いなと思う。


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