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お返事 20.7.21

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私なんかの言葉で表せることは少ないですし、私も言葉で傷付けてしまうかもしれませんが、私なりにお答えするので良かったら読んでください。

私も一報を知ったとき、衝撃が1番にきました。
知ってるか知らないかでいえばあまり知らないほうです。(すみません)
もちろんお名前は知っていますが、活動を細かくチェックするわけでもなく、流れてくる映像の中にいらっしゃったら認識する、くらいです。
それでも、ドラマ等のお芝居はもちろん、舞台や歌の活動も目にしたことがあり、NHKの番組も何度か見たことがあり、丁寧で熱のある人だなと感想を持つくらいには、お見かけしていましたし印象に残っています。

もし、大切だと思っている人がいなくなったという現実が突然やってきたら。
想像でも難しいですが、受け止められないまま、「何故なんだろう」「本当かな」という意味のない思考を繰り返して悲しみに埋もれるくらいしか出来ないのかなと思います。
ほぼ脳が機能しない気がします。

そんな中で、ほとんど認識すらしてなかったであろうところからの「悲しい」「応援していた」という言葉を見たら「私が受け止めきれていないのに、そっちで勝手になき物みたいにしないでよ。過去形にしてさっさと捨てて次にいかないでよ。」という感情がわいてきそうです。
名前を知ってくれていて、悲しいと思ってくれること自体は有り難いことなんだって頭で理解できて、ちゃんとそう思う部分があっても、また別の部分で「そんな軽々しく扱わないで。“今日の出来事”みたいに通り過ぎないで。」って思うと思います。

私も知念さんを好きになって救われたと思える感情や行動がありますが、マシュマロを送ってくれた方は“道標”だったりとか、もっと深く多様な想いもあったのではと思います。

嫌な情報って嫌でも目に入るんですよね。
今いる場所はその情報を見られるところとして作ったわけだし、世間にもショッキングだとありとあらゆる扱われ方をする。

どうするかと聞かれると、私はもう自分からは一切見にいきません。
その辛さに気持ちが保たないからです。
その人を本当に知ってくれていたと自分が思えるところからの発信だけを見て、受け入れられるかは別として、大切な人を大切なまま、気が済むまで想い続けるしか時間が進んでいかない気がします。

素敵な人を好きになれて、いろんなことをするその人を見続けられて、大切に思えて、それが続くと思えてたのに、なくなった世界って想像つかないほど何もないし、今その先を考えるなんて出来ない気がするので、そんなことしなくていいと思うんですが、でも、ずっと大好きでそんな人に出会えて今いる自分は、その人が強く存在した証でもあるはずなので、どうか自分をその人を守るように守って、これからも「その人に救われました」と何万回も言いふらしましょう。

私も言い続けよう。
知念侑李という人を好きになれたから生きてますと。



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