エモオタクディスコグラフィー公開に寄せて

2016年、まだ17,8歳だった我々も二十代半ばになり、様々な無制限の象徴としての若さにも翳りが仄見えるようになってきた。無限の退屈は余暇に変じ労働と紐づけられ、しかし我々はなお反抗と諧謔をやめはしない。停止した歴史の只中にて……。


エモオタクを知らないリスナーのために簡潔に説明する。
エモオタクは1998年一月生まれ、埼玉県出身。川越の田舎で生まれ育ち、今もそこに住んでいる(現在無職)。十代の頃にエモやハードコアと出会い、2016年の春頃からsoundcloud上に自作曲のアップロードを開始する。初めに奇妙な電子音楽を数曲投稿したのち、現在知られるところのアコースティックギターの弾き語りによるskramz「それ魔剤?!」を投稿、その後数年にわたり二十曲ほどの楽曲を発表することになる。実は「エモオタク」という名義は2016年の秋頃に変更されたもので、元は「our opinions lost out」というもので、かつてbandcampにも同名義によるアルバム(本作の1〜7)を公開していたことがある(現在削除済み)。
その後、2020年頃まで断続的にskramzを続けるが、今では作曲はしなくなり代わりに"post nightcore"と称して激情ハードコアやskramzの楽曲のナイトコア化を行っている(今でもたまに新曲作りたいと言うことは、ある)。


・ショボskramzとは何か
ショボskramzについて詳細に論じるのは難しい。   
我々はそれを、激情ハードコア=real screamoの中でもとりわけ音がショボく、ナード/オタク的な精神性の影響が強いものと定義している。アメリカで始まった(と言っていいだろう)ジャンルだが、アニメやゲームといった日本のオタクカルチャーへのリファレンスもしばしば見られ、現在では5th wave emoのムーブメントの中でbedroom skramzと呼ばれるサブジャンルも生まれている。

ショボskramzとは、「ショボ」と形容しているように、(1)ハードコアでありながらあまりにも「ショボい」ということ、(2)激情ハードコアやエモと呼ばれるジャンルに少なからずあったナード的性格が前景化しているということ、(3)そしてそれが半ば以上「確信犯」的になされているということ、この三点を抑えておけばさしあたり理解には足りる。

先述したように本邦では激情ハードコアをこのようなナード的/オタク的ショボさにおいて捉える受容はかつて全くなかったわけではないとはいえあまり積極的になされてはこなかったように思われる(とりわけ年長世代ではそうだろう)。無論DIYとしてのハードコアというジャンルに「ショボさ」は必然的につきまとう。音質や技術においてハードコアは荒削り=「未熟」であったし、それはやはり「確信犯」的なーー自ら意図したーーものでもあった。概ね90年代以降アメリカで発生し、本邦でも90年代後半から受容された激情ハードコアの場合も事情はそれほど変わらず、むしろその傾向はきわめて強かったと言ってよい。だがショボskramzの「ショボさ」はどう見てもこれまでとは異なる水準にある(断りを入れるまでもなかろうが、筆者はショボskramzのそれ以外の激情ハードコアに対する優位のごときものを主張したいわけではない)。

ややカリカチュア的な言い方になるが、学校にろくに友人がおらず、毎日インターネットで無為に戯れ、アニメやラノベを消費して育った我々にとって、こうしたショボskramzほど「リアル」な音楽はない。重要なのは、これらショボskramzが、自らがそのようなどうしようもないショボい存在であることに対して、必ずしも「メンヘラ」的に応接してはいないということである。我々は現実として「ショボい」のであるが、ショボskramzにおいてはそのショボさ、惨めさは単に悲劇的であるばかりでなく、同時にあまりに喜劇的でさえある。言い換えれば、ショボさや惨めさは即時的には悲劇だが、対自的には喜劇でもある。この感性が、自らのショボさを単にショボさとして表出するショボskramzを形成する。これは、わかる人にはわかるとしか言いようがないような感覚かもしれない(なお、筆者に限って言えば、ショボskramz的に対象化しえない類の悲劇性を表現しうるのが激情ハードコアである)。ショボskramzは音質や楽曲の水準においてあまりに「敷居が高い」ため人口に膾炙することを望むのは無理があるし、また望みもしないが、そうであるにせよショボskramzを受容しうるであろう人々に全く伝わらないのはやはりどこかもどかしいものがある。

本邦においてこうした10年代のショボskramzをいち早く受容し、自らも実践した先駆者が、エモオタクEmo otaku(旧our opinions lost out)であった。筆者は彼の友人であり、また彼のskramz認識をその最初期から知る数少ない「証言者」でもある。エモオタクの楽曲ーーと呼ぶべきかどうかーーはタイトルやサムネからわかるようにきわめて「確信犯」的に、そしてどこまでも自らが「オタク」であることの自意識に貫かれていた。利き手と逆の右利き用ギターの高速かつ支離滅裂な運指とストローク、発狂したオタクさながらの滅茶苦茶な絶叫、英文直訳調の歌詞……筆者は彼が家の倉庫にある狭い小屋の中で一人アコギを携え、歌詞を書き連ねたノートを傍らに毎夜発狂し叫んでいたことを知っている。多言は要するまい。何も知らなければ彼の独りskramzは単なるイロモノにすぎないかもしれぬが、この記事を読んだ者であれば、曲を聴けば、彼が何をしようとしていたかわかるだろう。

エモオタクが輸入し独自の解釈をなしたショボskramzはその後まもなく筆者に伝授され、それから少しの時を置いて本邦でも受容、実践する者がわずかながら現れはじめている。moreruのドラムDexのソロプロジェクトthat same streetと、ギター、ドラムのツーピースバンドnuをここでは挙げることができる。手前味噌ながら筆者のバンドGensenkanもこの文脈に位置づけられる。無論、エモオタク以前の日本のショボskramzについてもーー「エモオタク特権化史観」を避けるためにもーー触れておかねばならない。Gensenkanのギター・タマン氏が在籍する伝説的なバンド5000(現在活動休止中)は2015年にiwrotehaikusaboutcannibalisminyourbookの"5"をカバーしており、自覚的かつ同時代のアメリカと(無意識に)並行的にショボskramzをその精神性において積極的に受容、実践した最初のバンドの一つと言ってよい。現在三十歳のタマン氏とはGensenkanの活動においても激情ハードコアにおいてショボくあることの面白さ、ネタ性についてしばしば語り合っているが、タマン氏はショボskramzへの鋭敏なアンテナを持つ稀有な年長世代だろう。また、10年代初頭から活動する大阪のcofunは本邦においてほとんど孤立的かつ先駆的にショボskramzを実践していた稀有なバンドである。ショボskramzとして紹介すべきかはわからないが、blue friendなどを嚆矢とする10年代の日本の激情ハードコアはそのナード性においてそれ以前の世代よりもきわめてskramz的であり、また激情ハードコアの一つの本質を捉えていたようにも思われる。


・オタクとしての自己
ところで、2010年代においてオタクであるとはどういうことだったのか。
以前YouTubeで、マッチングアプリTinderの広告で若いごく普通そうな女の子のキャラクターが「今度スッパイファミリー観に行くんだ〜」と言っているのを見て拍子抜けしたことがある。あんな萌えイラストのアニメ映画を、こんな「一般人」(周知の通りこれは死語である)がデートで観に行く時代になったのか、それがマッチングアプリの広告で臆面もなく言われる時代に…と
我々が十代だった頃、このようなことは恐らくまだありえなかった。
オタク的な趣味とオタク性は完全に切り離され、かつてオタクと呼ばれたであろう人々は「陰キャ」と名指されるようになった(これは我々が高校の頃には既に進行していただろうか)。
愚劣な者たちによるオタクカルチャーの「簒奪」は今も止まらない。「オタク」であることは前衛であることを意味しなくなった。我々はそのことに95年エヴァンゲリオンのブームの時点で察知しているべきであったのかもしれないが、恐らくはオタクの自意識がそれを許さなかったのだろう、「マイナー」なものとしてのオタク文化の逆説的優位を説く言説は2010年代半ば頃までそれなりに支配的であったように記憶している。

さて、では彼が活動を開始した2016年とはいかなる年であったか。
トランプ大統領誕生、ブレグジット、『君の名は。』『シン・ゴジラ』公開、ポケモンGOリリース。嫌韓系ネトウヨ言説が衰退し馬鹿にされ始め、PCがネット上において顕著になりNewspicks等を代表とする「ネオリベ」系言説が盛んになったのもこの年だったはずである。この年、時代の空気とでも呼ぶべき何かが一挙にガラリと変わったのを確かに私は覚えている。

私はこれを(それをそう呼ぶべきか否かは別にして)「2016年の断絶」と呼んでいる。この史観は決してメジャーなものではなく、私の周囲の数少ない同世代の中で共有されているにすぎない。
無論、「現代」の起点をどこに見るかは論者によっても、見方によっても異なった見解が得られるだろう。1789年フランス革命、1848年革命、1868年明治維新、1914年第一次世界大戦、1945年八月敗戦、1968年世界革命、1991年ソ連崩壊、1995年インターネット元年…我々はどこでもお望みの地点で時代を画することができる。しかし、ソ連もオウムも911も物心ついた時点で知らず、恐らくは2011年311の震災で初めて「社会」と接触し、その後の十年間に多感な時期を過ごしたであろう我々の世代にとって、もっとも肌感覚としてのリアリティを持つのは「2016年断絶史観」ではないか。

そして、かかる断絶の後において、オタク文化は完全にマスカルチャーと一体化したと言ってよい。オタク文化はマスカルチャーに対してマイナーだからよい、という前衛の幻想のゾンビがほとんどオタクの自意識の上からも消滅したのである。エモオタクがskramzを開始したのは他ならぬこの断絶線の上においてであった。それは今思えば当時既に死につつあった「オタク」という精神の断末魔だったのかもしれない。エモオタクのショボskramzとは、存在理由を失った戦後日本の鬼子……もはやアクチュアリティなど望みえぬかもしれない、「前衛」の残滓が最後に残した存在証明であった。だとすれば、「その後」を生きる我々にそれを引き継ぐことなどできはしないだろう。「オタク」という存在への問いは、ただ我々の自問自答においてのみ存続しうるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?