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父が死んだ

題名が重い!笑

年始に父が死んだ直後に書き殴った文章と
時間が経ってから書いた文章なんやけど
内容が内容だから重いし身内な話。

でも書き残したかったから投稿。

2021.01.06

人の死に向き合うのはこれが何度目か分からない。
もう数えてない。

死は悲しいことじゃないと、
人の死に向き合うたびに思うんやけど。

そして今回もそれは変わらずに思っていて。

お父さんが死ぬ、一番身近な人が死ぬ。

悲しいとはまた違って
寂しいともまた違ってて

なんやろ、こう
やり残してることから逃げられた感というか
もう肉体から離れてしまったから
会話ができないんよね。
何を今死んでんねん。おい!
死んで償うってか、あほ。

私はお父さんが好きやった。
高い高いをたくさんしてくれて
髭ジョリジョリめいいっぱいしてくれて
海に連れていってくれて
美味しいおつまみくれて
お風呂一緒に入ろうと言ってきて
明るくて面白くて
「もえちゃん」っていつも呼んでくれて

でも、お父さんの言動が嫌いになっていって
お父さんの母への振る舞いが許せなくて。

私は、それに対して怒っていたけれど
果たしてそれは伝わっていたのか。

死んだら許そう
死を持って償う

そんなことじゃないと。

お父さんの口から
お母さんへ、にいちゃん、姉ちゃんへ
「ごめん」
「ありがとう」
って言って欲しかったんよ。

私は、そうしてくれたら許せたんよ。


ここまでがお父さんが死んだ翌日
大阪に帰る新幹線の中で書いた文章。

今、約3ヶ月が経った。
再び続きを書こうと思ったけど
当時と今では気持ちが違ってて書けないや。

今思うのは
人が死ぬ度に私は同じ後悔をしてる。

「もっと伝えればよかった」って。

友達が死んだ時も
恩師が死んだ時も
友人の親が死んだ時も
自分の親が死んだ時も

「もっと私の伝えたい気持ちを
相手に伝えればよかった」

って後悔してる。

友達には「また遊ぼう、元気になってね。」って励ましの手紙を送ればよかった。
恩師には「苦しい時に先生のおかげで楽しく頑張れたんです、ありがとうございます。」ってもっと言えばよかった。
友達の親には「私の大切な友達を産んでくれてありがとう。」
ってお花を贈ればよかった。

父には「私はお父さんの家族に対する態度言葉が許せなかった。ごめんねって謝って欲しい。」
って話せるうちに言えばよかった。



結局いつも感謝も怒りも
もっと伝えればって後悔してる。

バカだよな〜。


本当、お父さんも私もバカやなあ。


自分勝手に怒鳴って
お母さんを叩いて
自分が悪くても謝らなくて
あれしろこれしろって文句ばっかり
自分は何もしないくせに。
都合が悪ければ無視して
ありがとうさえ言わなくて
デリカシーがなくて
お金の話を私の前でして
痛みで泣く私から逃げてたばこを吸いに行き
タバコは絶対にやめなかった。
本当、ろくでもないぞ、父親として。

別に大嫌いにならなかったけど
嫌なところたくさんあったで。


「そんなお父さんの言葉や態度が嫌だった。許せなかった。」
って目を見て伝えたかった。
それでどう感じて受け取るかはわからないけど
何かを感じてほしかった。


あーあ。
3回夢で会ったけど
菩薩みたいな顔になっちゃってさ。


生きてる時に言いたかったなあ。




お父さんの死は
改めて私に気持ちを伝える大切さを学ばせてくれた。



おつかれ、お父さん。

ありがとう。

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