カンザキイオリさんに届け

 カンザキイオリさん、7月23日(金)に行われた初のワンマンライブお疲れ様でした。今この文章はそのライブを聴きながら衝動的に書き始めたモノです。


僕がカンザキイオリさんを知ったのはもうすぐ4周年になるであろう楽曲「命に嫌われている」を聴いたところからです。当時は現代のボカロ最盛期と言われており、様々な曲が投稿されているなかでサムネ、MV共に文字とアニメーションだけの逆に“異様”なあの曲が僕に目につきました。そしてその曲は歌詞はシンプルながらも心に響く、なんとも不思議な曲でした。

それから私はカンザキイオリさんに2度ハマる大きな出来事がありました。

1度目はYoutubeに投稿された今一生さん著書「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」のテーマソングとなったカンザキイオリ名義でのセルフカバー楽曲「愛があれば」を聴いた時です。

ボカロを聴いている人なら聞いたことがある言葉「模範解答」。どのボカロ曲でも作った本人がその楽曲を最も良い表現ができるという言葉である。そしてカンザキイオリさんのセルフカバー楽曲「告白」を初めて聴いた時「感情をストレートに伝えるような声だな」と当時は思いました。

そして2度目は、花譜という存在を知った時です。
YouTubeの広告で流れた花譜さんの声を聴いた時、スっと心の中に思った言葉が「頑張っているな」でした。そして楽曲提供を見た時「カンザキイオリ」の文字がそこにありました。

そこから花譜さん、カンザキイオリさん、そして神椿の皆さんがとても好きになっていく中で今回のカンザキイオリさん初のワンマンライブが発表されました。

そしてライブ当日。

カンザキイオリさんが歌う「あの夏が飽和する」を聞いた時、ボカロとも神椿の人たちとも違う、なんというか“生きるための必死さ”が伝わってきました。1番は少し不安げな声が震えた歌い方だったのに2番からは腹の底から精一杯声を出した“伝えたい”という表現がとても感動しました。

様々な楽曲を現在進行形で聴いているなかで様々な感想が溢れるが、今回は割愛させていただく。ぜひまだ視聴していない人は後日行われる再放映を視聴することをオススメします。

カンザキイオリさんの声を、曲を聴いていくうちに私の中で「カンザキイオリってこういう人だったんだな」と少しずつ理解していくような、そんなことが感じられました。

個人的な印象として、カンザキさんのボカロ曲は「シンプルで当たり前の大事なこと」、花譜さんへの提供曲は「子供が必死に伝えたいこと」というイメージがありました。

そして今回の「不器用な男」を聴いて/観ていくうちに「カンザキイオリという人間ってどんな人間だろう」という疑問が浮かんできました。

そしてその疑問は公演を観進めていくうちに「理解」という形で私の中に入ってきました。

過去にカンザキイオリさんの声を聴いた際に感じた「感情をストレートに伝える声」という印象は初めの時点で覆りました。
まるで押したら倒れて崩れてしまいそうな、それ程不安定な存在である、という印象を受けました。
そしてその感じた印象は今までのイメージとの差から少し戸惑いながらも、不思議と納得してしまいました。

こういう人だから、あんな曲を作れる。
カンザキイオリさんだから、あの素晴らしい曲を作れる。

そんな感情が僕には残りました。


今回は「ライブ」ではなく「公演」という今までとは違う表現でしたが、カンザキイオリさんとナレーションの花譜さん、そしてステージを使って表現するという今回の公演は、カンザキイオリさんだからこそできたのではないのかと思います。


今回の公演を通して、勝手ながら僕はカンザキイオリさんという人間を少しだけでも理解ができたのではないかと思いました。
そして、だからこそこれからもカンザキイオリさんの曲やカンザキイオリさん自身を応援していきたいと思いました。


改めて初のワンマンライブお疲れ様でした。
これからのご活躍を心から祈っております。



1人のカンザキイオリファンより。


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