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笑いの巧妙〜自分を笑う醍醐味

ユーモア。笑い。

私にとっては、常に持っていたいものの1つです。

嘲笑でもない、だれかを蔑んで笑う訳でもない。
自分で自分を笑える様になることは、自分自身と向き合いながらも、自己を解放したり、心の肩こりを和らげたり、最終的には自分を肯定する為の1つの有効な感覚だと思っています。
自分で自分を笑う。私にとっては、究極の自己肯定の様に感じます。

ただ、自嘲とユーモアは、大きく違います。
「私は〜な人だから・・・」と自らを嘲ることは、自己肯定をむしろ遠ざけるばかりで、自己嫌悪が後味に残ります。それは、空虚や虚無感を生むだけの様にも感じます。

例えば、私は右と左を認識する能力が著しく欠如しています。日常で、まさに右往左往することも多々あります。そのことで、失敗をすることも、もちろんあります。凹んだ時期もありました。ですが、苦手は苦手だし、努力も少しはするけれど、苦手も自分のアイデンティティで、むりやり矯正しても歪みが余計に起きるし、といった長年の思考の結果、苦手は苦手で肯定しよう、と考えられる様になりました。
さらに、自分への肯定にユーモアを加えると、私は、ですが、心の負荷の様なものが更に軽くなりました。それは、まわりに対して自分を笑いのネタにするのではなく、なにがしかのミステイクを侵したり、迷い悩む時の自分に対して、笑いの要素を残す、というか、カラカラとした自分への許容とでもいいましょうか。
間抜けだなー、自分、という感覚をダイレクトに自分に突き刺すのではなく、ユーモアというクッションでポジティブに転換する感じとでもいいましょうか。ま、いっか、そんな一側面がある位が面白いし、自分の全てではないし、ここは笑っておこう!、位な感じです。
それは、もしかしたら、自分への赦しとしての笑い、なのかもしれませんし、さもなくば、自分に対しての俯瞰の目線を持つことが、自分の自分に対する笑いの道へと導くのかもしれません。

自分で自分を笑える度量の様なものを持つと、不思議と世界の見え方やまわりの反応も変わってくるもので、なぜだか、自分という生き物に対してのほどよい距離を持てる様になる、というか、自分への客観性が生まれ、立ち位置やスタンス、置かれた環境の中にいる自分が俯瞰で見える様になったりする様に感じます。
自分への客観性は、自己を内省し過ぎたり、他者に対しての無闇な感化や脊髄反射を自制してくれる、というか、ワンクッション置いて、自分のみならず、他者や事象についての目線を持つプロセスをもたらします。そんな多面的な視点は、コミュニケーションを生産性のあるものに変える、と、私は考えています。

即ち、ユーモア心を持つことは、心に余裕の様なものを享受してくれます。そして、そのゆとりは、まわりとの距離や関係性も豊かにする、と私は実感しています。
自分の心の奥底にユーモアがあると、他者との連携プレーも自然と楽しめたりもするし、気付くと自分の苦手にだれかが手を差し伸べてくださったりもするものです。その逆もまた然り、です。
だからこそ、日々を生きるのは楽しい、のかもしれません。

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