面倒くさい人

何をするにも面倒くさく感じる。
いつも「どうせやるんだから先にやっておこう」と自分に言い聞かせて行動している。何も考えずに当たり前に規則正しく、行動できる人ってどのような思考回路なのか知りたい。
特に自分に関することはステイホームのご時世をいいことにすっかり怠けている。
ノーメイクで過ごし近所へ外出は日焼け止めを塗るくらい。洋服のコーディネートも適当になりこだわりも薄らいでしまった。ヨガスタジオに通うのも疎くなり毎晩自前のシークエンスをすきなだけやっている。ヘアカラーもやめた。毎月美容院に行くのは時間とお金の浪費だし、髪や頭皮にも良くない。グレーヘアもすっかり馴染んで気に入っている。流石に「若く見える!」(以前は実年齢より若く見えるとお世辞であれよく言われた)とは言われなくなった。今や歳相応の見かけなのだろう。老いていく自分に抗う気持ちもなくなった。ショックだったのは久しぶりに行ったヘアサロンで「グレーヘアだとおばあちゃんって言われません?」と美容師に言われた。なんてことを..私は子供を産んでいないし、孫もいないわい!
笑顔で交わしたが心では憤慨はしたのでそのサロンへは二度と行かない。

ファッション大好物な私だったが、毎シーズン購入していた洋服たちは本当にイケてたのか。流行ってるから、誰かが着てて格好よかったから、ではなく自分に似合ってるものを身に着けてたのか。着こなせてたのか。自信喪失状態でお手上げだになった。
どうせ今日の私の服装なんて誰も覚えてないし、昨日と同じでいいか。ステイホーム中、部屋着で一日過ごすことの心地よさを覚えてしまった。
それでも物欲は忘れた頃に沸々と湧いてくるもの。そんな時は一番客観的に判断を下してくれる主人を連れて行く。そして似合う似合わないをジャッジしてもらい厳選して購入するようになった。店員さんの意見はほとんど聞かない。手のかからないいいお客さまだ。
ちなみに主人は何事にも「バランス」を重視する。洋服、靴、バッグのバランス、試着した時のバランス、色のバランス、あとクオリティと値段。客観視するので常に的確だ。
そこに頼るととても楽ちんでまた怠け癖がついてしまう。
面倒と言ってしまうとネガティブに捉えがちだが、そう感じることを生活習慣から排除していくとシンプルに生きれることに気ずいた。
人間関係も人生それぞれの局面でかかわる人々はそれぞれ重要な人もいるけど、それを過ぎてもだらだら付き合うのはやめた。ソールを感じない人とのお付き合いは疎遠にする。この際、「面倒くさい」を全部とっぱらってしまえ!

とにかく複雑怪奇になってしまった自分を取り巻く環境は「面倒くさい」のだ。それをシンプルにすることで自分自身が面倒な人にならないように心がけたいものだ。