自信がなくなったときに思い出すこと 〜折れた羽根をもう一度広げていい〜
私ね、自分に自信がなくなったとき、この写真を見るんです。
"ああ、本来の私って、きっとこんな感じなんだよなー"って、思い出せるから。
小さい頃、まだ世界のなんちゃらを何も知らない頃。。。
この写真のように、身も心も軽やかで、どこまでも飛べそうで、何も怖いものがなくて、木のてっぺんまで登ってその先で仁王立ちして幼稚園の先生を青ざめさせたり、音痴と言われようが好きな歌を歌い続けたり、人を笑わすのが大好きで、カメラを向けられればいつも変顔をするひょうきん娘だった🤪
それが、いつからだろうな。
家の環境、学校の教育、父の自殺、一般社会、、、色んな出来事を通して、私は本来の自分を封印するようになってしまったように思う。
それともう一つ。
「すべての女子に教育を」と活動を続け、史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのお父様が、マスコミに"こんな優秀な娘さんをどう育てたんですか"と教育方針を聞かれたときの、このセリフを思い出すから。
"私はただ、この子の羽根を折らないようにしてきた"
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小学校高学年くらいからだろうか。
自分が光の羽根を大きく広げると(←イメージね)その一方に影ができて、妬まれて出る杭打たれたり、劣等感で羽根を閉じてしまったりする子がいたり。
逆も然り。自分自身も、誰かと羽根の大きさや色を比べて一喜一憂したりして、疲れてしまうようになった。
"もー!こんな面倒臭いもの取っちゃえ!"ってもぎ取ったり、背中のジッパーに押し込んで隠したり、先生や親に折られてしまったりするうちに、
日本ではこの羽根のない姿が"大人になる"ことなのかもしれないと思うようになってしまった。
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私は音楽活動を始めたり、海外の人と交流するようになってから、少しずつまた自分の羽根を広げることを許せるようになっていった。
それでも、弱気になるときは、今でも全然あるけれど。ライブの前はいつも不安と緊張でお腹壊すしw(幸い、本番に強いのでステージでは気づかれないけど。笑)
"自分なんて、価値のない人間だ。
羽根を広げてはいけない"
って、いつからか刷り込まれたものが、しぶとく浮き上がってくる。その度に自分を抱きしめるしかないのだけど。
でも、この写真を見ると、そんないちいち傷口を舐めてヨシヨシしなくても、
"この子には、好きなところへ自由に行かせて、好きなことをさせて、笑顔にさせてあげてればいいのだ"
と、フッと笑ってしまうくらい自然に思えてくる。 子どもの頃、怪我してるのも気づかないくらい夢中になって木登りしたり、虫を探したりしたときのように。
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小さい頃は、みんな背中に大きな羽があって、何処へでも飛べた。
誰かに折られたり、隠したりした過去があっても、その羽根をいつまでも縛り続けてるのは自分自身。
もうこれからは自分で自分の羽根を折ったり、隠したりしなくていい世界にしていきたいな。
それぞれが思い切り羽根を広げて大空を飛べるようになれば、隣の人と羽根がぶつかり合って遠慮することもなくなるのだから。
みなさんにもそんな自分らしい写真や子どもの頃の写真があったら、手帳の中に忍ばせて、元氣がないときに見ること、おすすめします^ ^
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ちなみに、、、
この写真は、NZのタウランガという街で、南米系の仕事仲間に誘われて初めてクラブで夜遊びしたときに友達が撮ってくれた写真です。
私は真面目ちゃんなのでw このときまでクラブに行って弾ける!みたいな経験がなくて、"怖い!チャラい!てか踊れないのに恥ずかしいし!"というイメージが先行してしまっていたのだけど、
"エミ!!YOLOだよ!YOLO!! "
※"You only live once"(人生一度きり)の略
と言われ、つらーい連勤が終わった日の夜に、半ば強引に連れていかれました。笑
そこでは、周りの目なんて気にしてる人は誰もいなかった。目を閉じて音を感じて、どっぷり身を委ね、心ゆくままに体を動かし、誰かと目が合えば一緒に踊り、、、という純粋に流れるラテンスピリットを感じて、原始的な楽しさや熱気を味わいました。上手い下手に関わらず、歌って踊るのは全世界共通でみんな好きなことでDNAに刻まれてることなんだなぁって。
私自身も、ダンスとか超苦手分野だと思ってたんだけど、"エミのダンス好きよ、あなたにはラテンウーマンの血が流れてるわね🔥"とダンスが上手なチリの女の子たちに褒めてもらえて嬉しかった!強引に誘って新しい世界を見せてくれた彼女たちに、感謝!!グラシアス❣️
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