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薔薇が咲いた


母さんが亡くなった。


4月末にくも膜下出血の手術を終えて、5月末に無事に退院をした1ヶ月後。
後遺症も無く、「あとは体力が戻るだけだね」なんて言って笑ってたのに。


「らーたって知ってる?」
ラーメン太郎(神戸で有名なラーメンチェーン店)に連れて行ってくれと彼女は言った。
また今度行こうね、と返した。
結局、ラーメン太郎に母さんを連れて行くことはできなかった。


母さんは歌が好きだった。
安全地帯が復活してからは、青春時代に燃やし尽くしたはずの玉置浩二に対する熱が再燃したらしく、コンサートに遠征するほどだった。
そんな母さんが、僕の歌のことを褒めていた、息子とのカラオケは楽しいと言っていた、と母さんの友達づてに聞いた。直接言ってくれればよかったのに。


母さんとはひどくウマが合った。まるで旧来の親友みたいだった。
基本的に親子にある「血のつながり」のようなものは基本的にあまり信じていないが、母さんと僕は良いところも悪いところも似たもの同士で、「血は争えんな」と笑い合うのが常だった。


母さんに昔、「親が何をしてくれたって言うんだ!」と怒鳴ったことがあった。彼女は定期的に反抗期の口が衝動的に吐き出したその言葉で、僕をイジり倒すのが好きだった。
言わなければよかったと今でも思う。それは母さんに散々イジり倒されたからではなく、きっと当時の母さんはその言葉に、とても傷つけられただろうと思うからだ。


母さんはいつも病気と戦っていた。
腎不全、抑鬱、敗血症、くも膜下出血。母さんの半生は病気とともにあった。
それでも母さんは生きることに前向きだった。他人には弱みを見せず、いつも笑顔で、彼女が熱心に育てていた薔薇の花のように強く、美しかった。


当たり前のように、母さんとラーメン太郎に行けると思ってた。

当たり前のように、母さんと玉置浩二のコンサートに行けると思ってた。

当たり前のように、毎年行ってた家族旅行に今年も行けると思ってた。

当たり前のように、母さんにいつか恋人を紹介できると思ってた。

当たり前のように、これからも母さんとの思い出が増えると思ってた。




当たり前がなくなった。明日はお葬式だ。

庭に咲いた薔薇を見て、世界一綺麗だと思った。


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