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[archives:2013/10]はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース 後編

前編はこちら

【4A~5A】
黒姫では、3A~4Aまでの走りに的確なアドバイスと喝をくれたサポートメンバーが何か紙が挟まれたボードを見ながら次のアドバイスをくれた。

「これからの登りは走れないから。登りがあって、下って、登る。登りは基本走らなくていいけど、必ず早歩きで、だらだら走らずテンポ良くね!」
「はい…」
「だらだら歩くと間に合わないから。絶対テンポよくね!」

間に合わない。
それが1番の原動力だった。ズシンと重く響いた。

黒姫のエイドの後は長い長い長い林道だった。関川の次に地獄だった。緩やかだけど、ここまで必死に走ってきた脚にはかなり堪えた。男性もみんなトボトボとうつむき加減で歩いていた。それに引きずられないように、リズムよく、と言われたことを唱えながらサクサクと歩く。前を歩く女性が、走ってないのにかなり早い。足取りも軽い。よし、あの人に着いていこうと決めて、その人の足のリズムにぴったり合わせる。まもなく追いついて、かなりの距離をその人の後ろにくっ付いて歩いた。足だけを見て合わせるのはずいぶん楽だった。

「吊り橋を渡った後の登りがキツイ」と言われていた。一体どんなもんだろうと恐怖を覚えながら進むと、太い配管?みたいなものが見えて、その横に蛇行する登りがあった。ヴーヴー言いながら登っていると後ろから来た選手が声を掛けてくれた。
「ここ、確か上に発電所みたいなのがあるんですよ。そんなに長くないよ!ほら、あの建物、あれが最後だから!これを超えたら牧場で、そしたらエイド!頑張って!」

トレランの大会の魅力のひとつに、選手同志が話をするところにあると思う。みんなで励まし合って、辛いけど頑張りましょうと言ってゴールを目指す。

やっと登り終えて、トレイルに入る。やったー!牧場・・・牧場なのかなこの森・・・ふかふかトレイルだけど・・・動物いないけど・・・あれ・・・おかしいな・・・。普通に樹林帯の走れるトレイルがしばらく続く。こういう牧場もあるのかな、長いなとか思いながら走っていたら、その先に牧場が見えた。おじさんちょっと簡略化しすぎじゃないかと思ったけれど、樹林帯を牧場だと勘違いしてウキウキ走ることができた。調子に乗りすぎて本来の牧場に着いた時には、走ったり歩いたり、の「歩いたり」頻度が増えてきて、ヨロヨロしながら5Aに到着した。なんとかペーサー合流地点まで来れたことに感動して泣きそうになっていた。やはり身体に手が触れると痺れた感覚があった。

5Aでは同じチームメイトがちょうど出発するところだった。やった、なんとか追いついた。椅子にぐったり座ると、テキパキと食べ物を出してもらえて、靴ひもまでほどいてもらって、いたれり尽くせりのサポート。なんてありがたいんだろう。

ドロップバックに預けたものとザックの中身を入れ替える予定だったけれど、雨ら降っていないし、寒くもないし、ほとんどドロップバックへいらないものを入れる作業だった。靴を脱いで針で水ぶくれの水を抜いてもらい、靴と靴下を履き替えて、Tシャツも着替えた。気分もリニューアル。パスタとマドレーヌを食べて、ヘッドライトを着けて早々に出発した。ジェルなどの食料はマエダさんのザックに入れてくれた。(この当時は、ペーサーが選手の荷物を持っても良いルールだった。その後ルール変更があり、現在は禁止されている)

【5A~6A】
この区間が、本当に本当に辛かった。

ペーサーのマエダさんが先を走り、その後ろを着いていくことになった。

「もうほとんど足が残っていなくて、結構ぎりぎりで、あんまり走れないかもしれません・・・。」 

なんでしょっぱなからそんな弱音ばっかり言ったのか信じがたいけど、その時はそういう気分で、とりあえず走れない、と弱音ばかり繰り返していた。そんな私のザックを丸ごと持ってくれて、手ぶらで走った。マエダさんは私のしょーもない弱音をうんうんと聞きつつも、重いザックを揺らしながら何度も時計を見て、「ここは頑張って走ろう。このあと登りだから。走れるところは走って、だいたい登りも全部合わせて平均キロ10分でいけたら上出来だよ」と教えてくれる。キロ何分とかいう感覚がもはや全然わからなくなっていたけど、走らないとどんどん見えなくなっていくマエダさんの背中を必死で追いかけた。ペーサーってすごいな。

急登になる手前のウォーターポイントで、「ここは休まず行くよ」と言われたのに座り込んでしまった。ジェルを飲むように言われたけど、4A以降胃が気持ち悪くて、「今ちょっと、気持ち悪くて食べられません・・・」と断ってしまった。ペーサーを付けるからにはペーサーの言うことをどんな時もほとんど素直に聞くべきなんだと、この後に心底痛感することになるなんてレース経験の浅い私はまったく想像もつかなかった。

登りはたまに話をしつつ、どろんこまみれの登りを進み、「30歩走って、30歩歩こう」というマエダさんの提案で歩きと走りを交互に繰り返す。それでもわたしが走らなくなってきたら今度は「じゃあ10歩走って10歩歩こう」と提案され、必死で前に前に歩みを進めた。

「いち~に~さん~し~!」

隣でマエダさんが一歩一歩数えてくれた。思っていたよりも速く登りきったところで、下りに突入した。

だけど、下りはじめてすぐ、全く突然にかくんと膝が折れた。力が入らないと思ったら、今度は後ろに倒れそうになった。頭が支えられなくなって、眠い時のように首の根本からグラグラする。異常なほどまでに息があがってきて、心臓はバクバク。朦朧としてよっぱらいのような千鳥足になり、手足が痺れてきた。手を握り締める力もほとんどない。息が苦しい。

「ちょっと、手がし、しびれて、ふらふらして、歩いていいですか」

手が痺れるという私の言葉にマエダさんがハッとした表情をしたのがわかった。

「それ、ハンガーノックだね。ごめん、気付かなかったね。座って何か食べよう。」 

すぐに道の端に腰を下ろすように言われて座り込み、俯いて頭を抱える。あ~、そうか、これがハンガーノックってやつなのか。ハンガーノックさえ初体験だ。言われるがままに、エナジーバーやら、ゼリーやら、とにかく色々詰め込んで、水を飲んで身体の中に無理やり流し込んだ。深呼吸をして。冷静になる。

生まれて初めてのハンガーノック。トレランではよくあることかもしれないけど、そもそも関川で全く補給しなかったことや、ずっと手が痺れていたのがエネルギー切れの信号に気付けなかったこと、そのせいで今ぐったり座りこんでいることがすごくショックで、もしかしたら走れる状態だったのかもしれないけれど、すっかり心が折れてしまった。

トボトボ歩いて、本当にトボトボゆっくりゆっくり歩いている私は、どんどん後ろからやってくる選手に抜かれていく。しばらく歩いて、もう一度座って補給をして、また歩き出した。脚が痛いわけではなかったのだから、下りを走れたはず。マエダさんに「ハンガーノックは食べればすぐ治るから。大丈夫!」と励まされながらも、手足の痺れやめまい、なによりポッキリ折れた心が治らなくて、6Aまでのすべてをトボトボ歩いてしまった。

【6A】
なんとか“命からがら”という感じで辿り着いた6A。下りをだらだら歩き通したので、当たり前ながら目標のタイムなどすっかり過ぎていて、ゴールの制限時間はかなりギリギリ(アウト?)だった。一気に詰め込んだ分お腹を下してしまったわたしはしばらくトイレに籠っていた。ようやく戻ると、マエダさんがこちらを見ていた。

「エマちゃん、ちょっと、残念なお知らせがあるよ」

これから夜にやってくる台風の影響で、8Aで終了になるという報せだった。8Aまでは進めるということ。8Aで完走扱いになるらしいこと。もっと早くに8Aを越えられた人はfinishゲートをくぐれること。もう瑪瑙山は登らないこと。8Aを関門時間までに到着できれば良いということ。8Aまでなら、今いる6Aはもうすこし休んでハンガーノックから回復する余裕ができたこと。

「あぁ・・・。」

言葉にならないため息のような返事だった。悔しいけど、ものすごく複雑な気分だ。台風に関係なく、そもそも完走が怪しいタイムで、そこから巻き返してなんとか完走を目指そう!と思いなおしたばかりだったし、一方で身体は感じたことのないほどの疲労感でもう走れないんじゃないかという不安も抱えていた。

「ここでリタイアする方はバスが到着しております」

スタッフのアナウンスがまるでお店の呼び込みかのように、真顔で覇気をなくした選手達が続々とバスに吸い込まれていった。もう誰も6Aを出発しないなか、事実だけ伝えて何も聞かないマエダさんの後ろに付いて再び暗闇の中に踏み入れた。

【6A~8A】
この2区間は、ほとんど歩いた。たまに走ったけど、大半を歩いた。緊張の糸が切れ、なんとなく取り留めのないことを話しながら歩いたけれど、内容は覚えていない。ただひたすらゆっくり歩きながら、真っ暗で静かな森を、いつかは着くだろう8Aに向かって彷徨った。ハンガーノックから回復したこともあって、気分は楽になり、初めての暗闇のトレイルを楽しめた気がする。

だけど、後から思えばなんで「走れるので走ります」って言わなかったんだろう。それが何よりもレース後に後悔したことだ。8Aが近づいた時にも、最後は走ろうかと提案されたけれど、ちょっと走るだけで息が上がってしまってついて行くことを怠り、最後の最後だけほんの少し走って8Aに到着した。

サポートのみんなが寒いなか、たくさんたくさん着込んで、最後の私を待っていてくれた。結局、関門15分前というギリギリの時間だった。

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私の初めての信越五岳の結果は、92.3kmを制限時間15分前で「特別完走」したということになった。

台風の影響でゴール手前の最後のエイドで中止。ラスボス瑪瑙山を超えることなく、五岳は四岳のまま、110kmは92.3kmになって私の挑戦は終わってしまった。8Aを決められた時間までに通過した人だけがゲートをくぐることができた。最後まで走り切った女子はわずか33名だった。

110キロ走れなかったという悔しさよりも、自分自身のレース内容がものすごくショックだった。翌日、3年以上の経験差がある先輩達が皆足を引きずってロボットのように歩いているのに、初心者であるはずの私だけスタスタと歩くことができたし、2日後には軽いジョギングができた。それが「自分の限界を超えてがんばれなかった」証拠だと明白で、ますますショックだった。

体力的にがんばれなかったのではなく、精神的にがんばれなかったのだ。もっともっとすごいレースがたくさんあるけれど、距離の長さだけでなく、時間の長さに対してメンタルをいかに保つことができるかという面で、ロングレースの洗礼を受けた。

私が信越にチャレンジしたのは、「挑戦」することで学び得るため。だとすれば、不甲斐ない結果に悔しさを抱えることにはなったけど、それこそが本当は「もっとがんばれる」ということを身をもって体験したわけで、本来の目的は達成したのかもしれない。幸いにも特別完走扱いにまでして貰えて。

サポートのみんなからたくさんのアドバイスを受け、たくさん励まされ支えられ、応援に元気をもらって、ペーサーのマエダさんにハンガーノックを救ってもらい、完走まで引っ張ってもらった。そのおかげで、自分ひとりではとうてい辿り着けなかった92.3kmまで行けたことに、もっと感謝して、もっと喜ぶべきだ。

もっともっとたくさん山を走りたいと思える、
本当に大事な経験だった。

来年、絶対もう一度挑戦したい。

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