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フルコミット恐怖症

最近自分の人生を振り返る中で気づいたこと。

私って、色々と中途半端だなぁと。

飽き性なのは薄々気づいていた、というか射手座は飽きっぽいみたいな俗説は昔からあってそれをビンビンに自覚してた。
なので何かを途中で投げ出したり断念しても
「飽きっぽい性格だから仕方ないや」と思っていた。

けど「飽きる」とはまたちがう、
「楽しいと思って始めてみたけれど違ってくる」感覚とは異なる、
体の奥底から抵抗する勢力が湧き上がってくるコレをどうにかして言葉に表すと、“フルコミット拒絶している“がしっくりくるなぁという話。

フルコミットとは、約束することや責任を負うことを意味する「コミット」をさらに強調した用語で「全責任を負う」「全力で臨む」という意味合い

https://hataractive.jp/useful/6851/#

何かに「全力で臨む」ことが私は徹底的に苦手だ。
それがたとえ周囲から勧められること、自分の好き・得意なことであっても、可処分時間の全てを捧げることができない。
全てを捧げることは決して必要ではないけれど、フルコミットすると本当に全部持っていかれそうで怖いのだ。

たとえば副業。
昨今の副業ブームに乗って、元々趣味でもあったとあるスキルを使ってコミュニティに入って仕事の紹介を受けるようになった。
尻に火をつける気持ちで80万円を投じてスキル向上のスクールにも入った。
けれど一年も経たずにその副業はやめてしまった。
もちろん投じた金額の回収など全くできていない。
「軌道に乗るまでは朝も夜も睡眠時間を削ってでも副業に充てる」それが無理だった。

大学生の頃は皆、というか学生というものは「時間があればバイトする生き物」であり、私の勤めていたコールセンターでも週末は12時間シフトで稼ぐ同僚ばかりだった。
私は無理。
時給が上がる週末であっても、日曜日はまる一日休みにして、
土曜日も夕方で切り上げる口実のために習い事を入れた。

昔からダンスが好きで、田舎の高校生時代はダンスビデオ(当然VHS)をコマ送り(時代!)しながら振り付けを覚えたり、文化祭ではダンスチームを組んでステージ発表するほど。
ようやく入れた大学では志望動機の一つでもあった憧れのダンスサークルに入部。これでダンスに没頭できる!と歓喜したのも束の間。
昼夜問わずダンス漬けで青春を謳歌する他メンバーをよそに、私は夜中の練習や群れ合う集団行動が苦痛で2年生の終わりで退団。

言葉に書き出すと結構ひどい。いやみんな実はこんなもんなの?
実際世の中の多くの人は「当たり前に飽き性」なのに、私は「一部の頑張っている人たち」だけを見て自分と対比しているにすぎない?
けどなぜ私は何事においても「一部の頑張っている人たち」になれたことがないんだろう?

仕事でもそうだ。
難しい状況を「どうにかしてくれ」と任されることが大嫌いで、コミットできない。リーダー職になんて一生つけないと思う。
今以上の仕事が降ってこないか毎日ビクビクしている。(もう辞めるのに)
情けないやつである。

この、何かに没頭できない自分の気質をどうにか紐解きたい。
この頃はそんなことをよく考えている。

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