240507 あなたを思い今日も起きる

やほ~こんばんは、いかがお過ごしでしょうか^ - ^

ついこの前からまつ毛美容液を使っているわけですが、
こんな怠惰なわたしが毎日まつ毛に塗りたくってんのウケるよね。
ほんの気持ち程度だけど伸びた気がする。特に下まつ毛。いや伸びてもらわなきゃ困る。
だけどビューラーって超まつ毛に負担がかかる気がするからもう少し伸びたらまつパ行きたい

爪を切る音が苦手すぎて自分で爪を切ることが得意でない。生きてると爪って伸びるから仕方なく切ってる。前はネイリストさんに切ってもらってた。そろそろネイル再開しようかな~と思っている。テンション上がるし自分で爪を切るのが嫌すぎるから。ネコチャンくらい嫌だ。

まつ毛やネイルに限らずではあるが、わたしが可愛くなりたいと願うのはわたしのためである。そしてきみのことを考えるからである。きみの顔を思い浮かべて起きた、そんな朝が始まった。

2017年の5月7日から今日で丸7年が経ったらしい。
いろんなことがあったけれどその全てが鮮明なわけではない。たとえばきみが中学一年生だったとして小学一年生の頃をはっきり覚えてるかと問われればどうだろう。

わたしは小学校の入学式の日、隣の席の子とお話をした。お話をしただけであったがわたしは友達になれた~(≡^.^≡)と思って、そのことを母親に話した。3日くらい経って、あれは友達になったわけではなく席が隣だったからお話しただけに過ぎない、わたしはただのクラスメイトだったのだと思い知った。(のちに、友達となり家を行き来するような関係にまではなる❕)

20年以上も前の話だ。
ちなみに小学一年生の頃の記憶はそのことと、鍵付きの日記帳を買ってもらったのに3日しか続かなかったことくらいしか覚えていない。
だけど、まあ、記憶が皆無ってわけでもあるまい。

逆に高校三年生の頃のわたしは、小学六年生だった頃のわたしのことをよく覚えていて、15年以上経った今でもその頃のことは鮮明に覚えている。嫌なことと良いことの比率で言えば9.5割くらいが嫌なことで、でも嫌なことばかりだったから覚えているわけでは決してない。その1年が、その後の人生を左右するほどでかかったから、という理由だ。

7年経つ、ということはそれだけ歳をとるということだ。
小学校に入学した子供は新しく中学の制服に腕を通すし来年から中学生だと期待に胸を膨らませている子供は大学受験を憂いている。大学ってどんなところかな、なんて想像すら出来ていない中学三年生の少年少女は就活も終えて大学を卒業するのを待っている頃だろう。日本の学校制度の仕組みのせいなのかは分からないけど7年というのは環境が大きく変わる単位なのだと、こうして文章におこしてみると感じる。
小さな子供は大きな子供になり、大きな子供は大人になる。そりゃそうか。

この7年を振り返ってみると忘れたこともあれば忘れられないこともあった。もちろんしんどいこともあったと思う。だけど別にそんなことは生きていたら誰でも訪れるものだと思う。

しかし、この7年間でわたしに起こった嬉しいことのすべてはわたしが選択を間違わなかったから得られたものだと断言できよう。しんどかったことも辛かったことも悲しかったこともそんなものは箸にも棒にもかからない。過ぎ去ってみればそんなこともありましたねハハ…
くらいのもので、逆に嬉しかったことや楽しかったことは何度も何度も何度も

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も飽きるほど思い出して反芻してしまうのだ。

わたしが7歳、歳を取ったということはきみも同じように7歳年老いたということである。人間の命には寿命があって老いは避けて通れないものだ。この7年、いろんな人間を見てきた。学生だった人が社会人になった。死んだ人もいた。結婚して出産した人もいた。あくせくと働いていた人が親の介護に追われるようになった。酒が弱くなった人もいた。涙腺が弱くなった人もいた。10kg以上痩せた人もいれば太った人もいた。きみにはきみの人生があって、わたしが知っているのはほんの一部なのかもしれない。

だけどわたしたちにしか分かち合えない記憶と景色が必ずあったように思う。
7年前はこうだったよね、って話せるのはすごいことだ。あと3年すれば10周年だ。

「10年前はさ、」

なんてまるで小説のような話だ。夢物語のようなのに確実にそれが来ることが分かっているのがきっと姫事絶対値の良いとこなのかもしれない。

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去年の誕生日の前日、noteにこの人生はわたしが主人公なのだ、的なことを書いたように思う。しかしわたしはあれから1年近く経った今でもわたしの人生に対して傍観者スタイルが抜けきれない。理由は分からないけれど降り注ぐ現実全てがどこか他人事のようで
姫事絶対値の一ノ瀬恵麻でいるときだけ、主人公になれたような気がする。
わたしの口から出る言葉やnoteに記す文章は確かにわたしが今まで生きてきた人生まるごとの中で培われてきた記憶や想いや感情から起因するものであることは勿論間違いないけれど
一ノ瀬恵麻の命はまだ7歳だ。きみと一緒に育ってきたぴかぴかの7歳だ。

わたしときみは他人で、頭のてっぺんからつま先までぜんぶを分かち合うことは永遠にできない。だけどわたしたちがライブハウスで同じ時間を過ごしているあの瞬間は何故か同じ1つの命を分け合っているような気持ちになる。わたしと出会って7年の人は7歳、5年の人は5歳、3ヶ月の人はまだ赤ちゃんかもしれない。でも確かなそこにある命。

「優しく生まれ直す」

これはわたしが学生の時、書道の時間で書き初めとして書いた言葉だ。いつか生まれ直すことが出来れば良いと、そう願った気持ちだ。これを書いた7年後、わたしは上京して、姫事絶対値の一ノ瀬恵麻になって
2017年5月7日渋谷サイクロンのステージを踏みしめた。
優しく生まれ直した瞬間だった。

それからまた7年経ったわけだけど先述したように、わたしの頭の中には楽しかったことや嬉しかったことばかりが鮮明に煌めいている。ずっとそうだ。そしてこれからもきっとずっとそうなのだ。
誰かと昔の話ができるのは良いことだ。過去を振り返り懐かしむのはヒトだけに許されたことだからだ。そしてその記憶を慈しむことが出来るのは未来があるヒトだけだと思う。

明日があるから、1年後があるから、3年後があるから、10年後があるから、人は何年も前の記憶をあの頃は楽しかったね、懐かしいね、幸せだね、と言えるのだ。
わたしはメンバーと、そしてきみと。それを分け合って生きていけるのがこんなにも嬉しくて幸福である。

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改めまして、7年間ありがとうございました。
そして8年目のわたしたちも、その先のわたしたちもどうかよろしくお願いいたします。
まだまだもっとキラキラしたものが見たいし覚えていたい。もっともっと見た事のないものが見たい。そしてそれをきみと分かち合いたいのです。

きみを思って今日も起きたよ。明日も明後日もきみを思って朝を迎えるのだと思います。

最後まで読んでくれてありがとう♡ サポートもありがとう🌱 いつかライブハウスで会えますように🍀