241024 市井の静かな暮らし 普通の人心地を
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
今日は中々暖かったんじゃないでしょうか。
家族に10月生まれの人間はいなかったし、友達にも10月生まれの人間はいなかったので10月とはあまり縁のない人生を過してきました。
↑ここまで書いて3歳から今に至るまで未だに交流がある幼馴染が10月生まれなのを思い出しました。
彼女もかなり人生いろいろある女の子で数年に1回くらい連絡をくれるんですけど知らない間に結婚して、子供を3人も産んで、離婚して、再婚して、また1人子供を産んで…あまりにも真逆の人生過ぎてここまでくると面白いな、と思います。そもそも出会った頃から性格も環境も真逆でした。人生の辛酸も知らない幼い子供からすれば自分以外の全ての芝生は青いものですから、その子がすくすく育つ環境が胸が痛くなるほどずっと羨ましかった覚えがあります。しかし皮肉にも人には人の地獄があると知ってから彼女から離婚したことやそれに伴う壮絶な親権争いについて聞いた時、彼女には彼女のわたしには想像も及ばないような苦労があったのだと気付かされました。
わたしに初めて出来たまともな友達…?(友達と言うのだろうか…)というかまともにお話した同い年の女の子は紛れもなくその子です。幾度となくくだらない事で喧嘩し、幾度となくくだらない話で笑い合いました。
ちなみにわたしがハリーポッターを好きになったのはその子のおかげなんですよ。歩いて10秒の距離に家があったのでよく遊びに行っては一緒に本を読んだりご飯を食べたりしていましたね。懐かしいです。
話が脱線しすぎてしまいました。兎にも角にもその子のことは置いておいてわたしは10月にはあんまり縁がないんです。だから毎年どう過ごせば良いのかちょっと悩みます。去年はどう過ごしていたっけな、と振り返ってみたもののゆうら生誕くらいしか特筆すべき記憶はなく、ああでも去年は本当にすごくよく晴れてわたしはこんな日にぽっくり死ねたら最高に幸せだろうな、と思ったのを覚えています。なんというか、「今この瞬間が絶対に一番幸福」という感覚になったのだと思います。
わたしは割と小さい頃から嫌なことが沢山あったので早い段階で希死念慮というものに苛まれるようになりました。なので死ぬのが怖くてたまらないとかそういう幼児特有の想像がつかないことへの恐怖を感じて夜泣いてしまう、みたいなのがなかったんですよ。死に至るまでの苦しみ、痛み…なども当時はそれに匹敵する(勿論主観も混じっていますが)苦しみ、痛み、飢えがあったのでそれに対する恐怖も想像がつきませんでした。怖くて苦しくて悲しい環境にいたからこそ、怖いものや苦しいものや悲しいことを想像して胸がぎゅっとなるみたいなのがなかったんでしょう。
大人になって、最近はあまり顕著な希死念慮はなくなったように思います。幼い頃とはまた違って自死というものは衝動から起こることを理解していて、そしてその「衝動」があまり起きないようになったからかもしれません。飼い慣らせているのかは分かりませんが、少なくとも冷静な時は自分が毎日穏やかで人に害されず幸せな日々を生きているという自覚がしっかりあるのでしょう。
逆に近頃は生きるってなんだろう?生きていくってどういうことだろう?そんなことばかり考えます。
世の中には死ぬのが怖くて怖くてたまらないって人もいると思うんです。現にわたしが大好きで尊敬している人も死ぬのがたまらなく怖い、と公言していました。
それで、わたしは今までわたしとは真逆の価値観を持つ人間のことをあまり考えて来なかったなあと思ったんですよ。
───────
わたしは骨の髄まで夜型人間で、2時から3時ぐらいにかけてが一番安寧を感じます。しかし早寝早起きをモットーに生きている人間は沢山いるし、仕事や学校がある人は勿論朝起きていますよね。
今日は昨日から一睡も出来なくて、更には朝明るくなってから妙に脳の中がクリアだったので散歩に出掛けたんです。丁度通勤時間くらい。スーツを着た人やきっとこれから仕事へ行くんだろうな、みたいな人が黙々と道を歩いていました。きっとこの人たちはわたしとは真逆の人なんだろう、と思いました。
またわたしはあまり何事にも熱心に興味を持てる性格ではなく、これといった趣味もないんです。
でも世の中には趣味に熱中している人が沢山いますよね。彼らは何を熱源にその趣味に没頭出来るのでしょうか。毎日何時間もゲームをする人。徹夜で麻雀をする人。写真を撮る人。服を買う人。きっとそれらの人たちはわたしとは真逆の人なんだろう、と思いました。
真逆の人達は普段何を考えてどう生きているんだろう。
話してみたいけれど、きっと理解はできないんだろうな。けれど真逆の人を沢山思い浮かべて想像してみるんです。もしわたしたちがこの人だったらどんな人生を送っていくんだろう。そうすると不思議と凝り固まった自分の価値観や思想が和らいでいくのを感じるんです。
もし死ぬのが怖かったらきっと眠るのも怖いだろうな、とかもし朝が好きだったらこのタイミングでコーヒーを飲むだろうな、とかもし熱中できる趣味があったら今とは違う意味で睡眠不足に悩んでいただろうな、とか
そういう風に考えるのって結構楽しい。
好きな物が沢山あります。面白いなって思うことも沢山あるし、興味があることだって沢山あります。行きたいところもやりたいことも沢山沢山あります。
だけどそれと同じぐらい、全てが、どうでもいい。
なくていいんです。あったらいいなあと思うけれど、なくてもわたしは平気なんです。
もしも、わたしが姫事絶対値に出会っていなかったら。
ゾッとします。だってすごく怖い。わたしの手の中には
何も無い。
それをね、毎日毎日ひりひり実感するんです。
特にこうやってライブがない日が何日も続くとうんざりするんです。惰性で何度も見た事のあるアニメを適当に再生したり、惰性でとりあえず生きるためにご飯を食べるのも、
ライブが何日もないと、もう生きるのにうんざりしちゃう。思考がどんどん散らばって、散らかって、
そのくせライブをするとまるで息を吹き返すように生き生きとする。むしろわたしの手の中にはこれだけが光っているのだと誇らしい気持ちになる。
もしも、わたしが真逆の人間だったら。きっとそれなりに楽しい人生を送っていたかもしれません。わたしと真逆の価値観はとても面白いし手にしてみたいとは思います。だけどわたしだったから、たった一つだけどたった一つの宝物を手に入れられたわけで
それは絶対にプラマイプラスなんです。そういうことをね、ライブがない日に考えて頬が緩むんです。
───────
ああだけど、50歳とか60歳になったとき今みたいなライブができる自信は到底ないので…さすがに…笑
ライブがない日を惰性で消費しないように何か熱中できること見つけたいなあ…
はい、じゃあレッスン行ってきます❕
明日はライブだよ、やっとだよ(≡^.^≡)
最後まで読んでくれてありがとう♡ サポートもありがとう🌱 いつかライブハウスで会えますように🍀