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「笑坂&吉野大夫ツアー」(5)

【ツアー13】 信濃追分駅

追分ではじめて花魁草を見たのは、国鉄信濃追分駅のプラットホームだった。そしてそれが、日本ではじめて見た花魁草だった。したがってわたしは、北朝鮮からいきなり追分に着いたようなものだったのである。
浅間には 花魁草がよく似合うなどというつもりではない。また、信濃追分には花魁草がよく似合う、というつもりもないが、駅から浅間山麓のわが家まで、歩いておよそ二十分の道すがら、わたしは何度かその花に気を奪われた。
(信濃追分駅は、今は「国鉄」ではなく「しなの鉄道」)

(「道」W45)

花魁草(おいらんそう)は、別名をフロックスとも言うそうですが、四月の信濃追分には花魁草は見当たらず、その代わりに目立ったのは石楠花(しゃくなげ)と桜草でした。

信濃追分駅
駅のホームからみた浅間山
信濃追分駅の石楠花
駅のホームの桜草
信濃追分駅下りホーム

【ツアー14】 西部小学校

追分からバスに乗ると、西部小学校前、借宿、古宿、中部小学校前、中軽井沢、町役場前、離山の順で、西部小学校前に国道十八号線最高地点の標識が出ている。千三メートル。ここから道は下りになった。
(バス停の名称・ルートは、現在とは異なります。)

(「離山」W208)
軽井沢西部小学校
標高千三メートルの標識

【ツアー15】 浅間神社

盆踊りの間じゅう、わたしは五晩続けてその道を歩いた。浅間神社の境内からレコードの音が風に乗って流れて来ると、小学校一年になる長女は、もう夕飯もそこそこにとび出して行った。その長女を、夜九時になると迎えに行かなければならない。わたしは懐中電灯で照らしながら歩いて行く。
(常夜灯の横に石橋、境内に芭蕉句碑、追分節発祥地碑など、石造物が多数残る。)

(「道」W25)
追分宿東端(浅間神社前)の常夜灯
浅間神社前の小川(御影用水)と石橋
追分宿郷土館と追分節発祥地碑
浅間神社境内の芭蕉句碑

  吹き飛ばす石は浅間の野分哉
実際、芭蕉の句は、この身の丈を吹き飛ばす野分であるかのような気もする。同時に、さすがの芭蕉の句も、この石だけは吹き飛ばせなかったというふうにも見える。そういう句碑ではないかと思う。

(Y200)

浅間神社は、江戸時代には石尊山・浅間山に登る入口で、浅間嶽を遥拝する里宮。明治2年に本殿が置かれ浅間神社とした。本殿は軽井沢町内最古の建築で、軽井沢町指定文化財
https://karuizawa-kankokyokai.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/09/walkingmap_oiwake.pdf

浅間神社の鳥居
浅間神社の本殿

浅間神社は旧道を東へ大分進んだ集落のはずれだった。本陣を過ぎる。寿美屋を過ぎる。亀田屋を過ぎる。油屋を過ぎる。堀邸を過ぎる。横田邸を過ぎる。そこから旧道は少し下りになる。小さな川を渡る。少し登りになる。やがて左手の高台に桃色の提灯が見えてくる。レコードの音が俄かに大きくなった。
(文章は、盆踊りに行った長女を迎えに行く夜の場面です。)

(W25)
旧本陣跡
寿美屋
亀田屋
油屋(「文化磁場油や」)
堀邸(「堀辰雄文学記念館」)
横田(瑞穂)亭付近からのやや下り坂
小さな川に架かる橋(昇進橋)

【ツアー16】 追分公民館

コンチワ・パーティは、最初は旧道の真ん中付近にある、古ぼけた公民館でおこなわれていた。わたしが追分に出かけるようになって、最初の二年はそうだったと思う。(中略)しかし、三年目からは、国鉄信濃駅近くの、広いガーデンで開かれるようになり、参加者も家族連れで見違えるばかりににぎやかになった。

(Y22)
写真は新しくなった公民館

【ツアー17】 ドクター大木の山小屋

ドクター大木と出会ったのは、そのガーデンのコンチワ・パーティだった。その年はじめて彼は出席したのである。
(中略)
「遊女の墓は、あちこちにたくさんあるんじゃないですかね」
とわたしは、ドクターの問いに、あいまいに答えた。
「そうかもしれませんね。ここは大変な宿場町だったそうですから。しかし、中でも有名なのがひとつ、あるとききましたのでね」
とドクターは、おだやかな口調でいった。
「何かで読まれたんですか」
「いや、読んだという程のものではありませんがね、大変ポピュラーな案内書のようなものにでていたと思いましたが」
「ははあ。それじゃあ知らないのは、わたしくらいかも知れませんね」
「いや、僕も、ですよ」
とドクターは紳士らしく笑った。それから、自分の山荘は登山道を登って千メートル林道の少し手前を右折したところだから、一度遊びに来て欲しいといった。わたしも自分の山荘の場所を説明した。

(Y23)
登山道
千メートル林道の少し手前を右折した道

【加賀乙彦氏の別荘】

『吉野大夫』を読み返していたら、加賀乙彦氏(小木 貞孝氏)がドクター大木として登場し、吉野大夫の墓を一緒に探しませんかという場面がありました。
又、加賀氏の追分宿の別荘について調べていたら、こんなHPを見つけました。

(続く)

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