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すんすんにっき

落ち込んで今の自分がこれでいいのだろうか?と思ったとき、何もかも嫌になってどうしようもなくなったとき、いつも見返す文章がいくつかある。

それは誰かからもらった別れの手紙だったり、節目にもらった励ましの言葉であったり、日常で呟いた何気ない消えてしまうような言葉だったりする。

折を見ては見返すその言葉や文章を私は大切にしている。読み返すたび必ず私の中に響く。

ある時は自分には厳しく、辛い言葉になる。
ある時は同じ言葉でも、優しく包み背中をさすってそっと押してくれる。

その時のその人の発した意図みたいなものがそのままダイレクトに作用する時もあればそうではないときも、ある。ようは私の受け取り方の問題。

それぞれが私にとっては意味がある。まぁ、意味を持たせているって言った方が正確かもしれない。そうしたいからそうしているときもあるし、そうしないときもある。でも読みたいなぁと思う事になんらかの引っ掛かりみたいなものがあるんだろうなぁと思っている。

今日はこれ。こっそり紹介しよう。特別に。

あなたが大切な誰かから嫌われ、ひどい別れ方を余儀なくされて絶望しようとも、あなたを待っている人がこの世界にはいるはずなのである。
だから、その人に出会い、何をか私のできることを届けることが私の人生での責務だと思っている。
私を、私のすることを嫌う人もいよう。
しかしそれは私の隣の人を待っているからかもしれない。
人間は自分を幸福にしようと必死なのだ。
だからそれで人が私に何を言おうと、しようと責めてはならぬ。
また逆に、自分もまた気づかぬところでそうしているのだから。
嫌われることを恐れてはなにも始まらない。
むしろ大きな愛で包んでしまえ

私はどうしたいんだろう?と立ち止まってしまって途方に暮れているとき、いつもこの文章は私にいろんな事を教えてくれる。

私には何にもないと悲しくなったりもするけど、そう思っている自分の周りには沢山の人が寄り添ってくれている。

私は私一人で成り立っているわけではないのだと。

うまくいかない事も嫌な事も沢山あるけど、なんとか必死にどうにかしてきたではないか。どれもあったから今の私がいるのだ。それは私一人の力ではない。と、思う。

自分でしっかり立って周りを支え、逆に支えられている。感謝しながら一歩一歩地を自分の足で踏みしめ楽しく歩んでいきたいなぁ。

って1人号泣しながら過ごす夜もあるんです。大概泥酔してるけど。

そんな自分も好きだったりするぜ!ナルシストに乾杯🍻

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