20220306 3/13に向けて


3月だ。昔は1月、2月と憂鬱で、3月あたたかくなっていくと共に調子を取り戻して、更には新しい場所へ向かう希望が持てるような時期だった。ひどく喉が渇いている。戦争が始まった。いつでも始まった事には敏感だ。世界では常に続いている事なのに。慣れてしまえば、生活に戻っていくのも、なんだかなって思うけど。コロナ、戦争、それどころではないのかもしれないけど我々はライブをする。3/13にはソマリと吉祥寺のNEPOでツーマンライブをする。どんなに戦争をしなくちゃいけないような理由があってもダメだよ、プーチンに鳩でも食わせてやりたい。

蔓延防止延長の為にオープン時間など変更になっております。
対策バッチリでお待ちしてます。

sheeploreは"The Human in the High Casle"という作品が完成してそのシーズンが始まって、その作品と向き合って自分の中に起きる変化と話し合うような日々が続いていて。まぁいつでも話し合ってるんだけど。

ソマリとツーマンをやるわけで、我々の関係性の話をしよう。ソマリのギターの刀根くんはsheeploreのサウンドエンジニアをやってくれていて、いつも俺のわがままに付き合ってくれている。そしていつも驚くようなクオリティで音を形にしてくれるチームメイトである。sheeploreの創る音楽は実験的な要素が強くて、ギターロックから始まったものではあるのだけど、エレクトロニックや最近はヒップホップなどの要素も入ってきたりしてるものだからかなり複雑なサウンドメイク求められるのだけど、それを一緒に話し合いながら創り上げてくれてる刀根くん。ドラムの高橋くんは前にsheeploreでドラム叩いてくれたりと、何かとお世話になっているバンドで。コロナで動きにくい中だけど一緒にやる意味のある事をしようって気持ちで3/13が動き出したんだよね。
3/13をイメージを掴めるようなプレイリストを用意したので是非聞いた上でライブに来てくれたら楽しいと思う。


https://music.apple.com/jp/playlist/playlist-%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%82%92%E6%91%98%E3%82%81-3-13-%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BAnepo/pl.u-mJy8r4rtbKbx06

予約はこちらから。お待ちしているよ。


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ここからは個人的な日記だ。

今までは"ライブ中の自分"と"そうでない普段の自分"というものが分かれていて、ライブでは出さなくてもいいやって思っていた部分があったりして、嘘をついたり演じているつもりもなかったんだけど、静かな場所で静かにしているのと同じ理屈で、あくまで自然に出ていなかっただけなんだけど、作品を創っていく中では当たり前に 作品と自分自身が一致している事を追求し続けていて。これってめっちゃ矛盾していたんだよな。もちろん"外向きでない感情"って意識もあったわけだけど。その出してない感情の料理法を覚えたともいえるし、それを音楽化していくのが面白いと思っているのかもしれない、今は。ありのまま。この3年ぐらい"音楽"である事をすごく意識していたし"精神的"である事を拒絶してきた感じがあるのだけど、今は音楽を使って自分の心を外に出すための装置のように感じている。

戦争もコロナもなかったとしても十分に自分を生きる事に精一杯で、何もかもがうまくいかない感じもある。全然思い通りにいかない。でも思い通りにできるように、なんとかしようとしてしまっている。そんな能力があるわけじゃないから空回っている。ただ回らないと私はそこには存在をしていないような気がする。いや、それでも存在し続けてしまうから怖いのかもしれない。ただ荒波なく穏やかに日々を生きる事、その中で最低限の楽しさを見つけて生きる事はきっとできてしまうのは、ものすごく怖い。何か大きな気付きがある度に怖くなる事が多い。地下に住んでいてもその暮らしに不満を持つことはないけど、ふと見上げた先に大きな家があると、"あの人達と自分"という隔たりが起きる。それが随分と嫌な気持ちにさせる。心を貧しくさせる。というような事だ。今までそこまで苦しむことなく(そうか?苦しみは振り返って忘れてしまっているからかもしれないが)生きてこられたのは見上げる事なく生きてきただけなのかもしれない。横断歩道で信号が変わるのを待っている時、散歩中の犬がいた。とても可愛い仕草だったので連れて帰りたいと思ったけど、連れて帰ったら犬は悲しむなって思った。犬は悲しむのだ。猫はどうだろう。うさぎはどうだろう。と思った。もちろん連れて帰らない、スタジオだったし。

飲み屋にいって、おじさん達が楽しそうに騒いでいるのを見ると、自分は酒も飲めないし、騒ぎたいほどしゃべりたい事もないと思う事がある。言いたい事がないわけではないけど、わざわざ話すネタではないかとか。でもそんなことを気にせず喋ってみると思わぬ良い方向へ向かったりする。結局コミュニケーションで世界は開かれていくのだろう。想像は折られ、求めている理想とは別の楽しさに着地する。ただ楽しいという気持ちは当たり前に求めていたものなのかもしれないし。楽園を作るために戦争をしようとするのかもしれないし、自分が自分でいるために戦争をしようとするのかもしれないし。ただどんなに戦争をするしかない理由があるのだとしても(他に手段がないのだとしても)戦争はしてはいけないと思う。
世界はこんなにも大変な時期なのに、なんだかとても個人的な気持ちでライブをする。
それでも自分を保っていこうぜ、生きる種を見落としてしまわないようにって感じで。たぶんこの日本の中にも戦争、来る時がきたらやるっしょって人、いると思うんだよな。人を人として見れない人、犬を犬として見れない人。いると思う。だから主張をする柱はしっかり持っておく事が必要だと思う。歴史とかも大事だと思うけど、その前に人が人であるために、人を人として認識するために、命を命として認識するために。日常で命を命として見続けてたらきっと元気に家になんか帰れないだろう。でも、思い出さないといけない、ちゃんと、決断の時に、思い出せるようにしておかないとね。

エミル







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