2022/01/03 THE HUMAN IN THE HIGH CASTLE

あけましておめでとうございます。
やっと明けたなのか、明けてしまったなのか。
まぁ独り言は後にしてまずはこちらの動画を。

”The Human in the High Castle"発表となりました。そのトレーラー映像。

そしてこちらの映像もどうぞ。

まずは1/4にタイトル曲"The Human in the High Castle"がサブスクリプションにて配信されます。

私が生きる世界は寒い、暗い。そういう環境や感じる空気を当たり前のものと思いながら生きてきた。うまくやってるとは思わないし、その中で曲を作ったりしていく事がなんとなく自分にとっての正しさのような気がしていた。その都度問題が起きれば考えて自分なりの方法で処世をしてきたとは思う。カビくさい世界は"そういうもの"として。ある霧がかった夜道を歩いている時にふと考えた。なんでここはこんなに暗くて寒いのか。自分の足元が暗くなっている事に気づいた。いや自分の足元だけじゃない。自分が生きている場所が影に覆われている事に気づいた。上を見上げるとそこには高い高い城が建っていた。いつからそこに城があったのかわからない。この場所とその高さによって隔てられた場所が"違う"という事にも今まで気づかなかった。見て見ぬふりをしていたのか、諦めていたのか、逃げていたのかもしれない。それはただ価値観の違いくらいに思っていた。でも心の奥ではもっと差別や被差別のような隔たりを感じていたのかもしれない。それを寒さや息苦しさとして感じていたのかもしれない。

作品にはかなりの量の情報量で"思考や想い"というものが入ってて、全てを伝える(伝えなくてもいい領域じゃなくて伝えておきたい領域)っていうのはもちろんの事不可能で、それは自分自身ですら理解はできていない事もあって、作ったものが出来上がってしばらくして気づくこともあったりする。未だに自分の為に音楽を作っている節があるし、それで誰かの力になったらいいって思っている。でも本当は生きているだけで誰かの力になれたらいいって思っている。でも誰からもそんな事は期待されていないし、誰も助けなんて求めていない。力になんてなれていない。
どちらかと言えば社会においては邪魔な方であって、本来助けてほしいのはこっちの方なんだろうと思う。前作からこの作品が形になっていくまでに気づいた現実だ。
Modern Time's Stepから続く長い旅が始まって、作品も少し長い時間をかけて形を成していくものになっていくので、この旅が一体どんなものになっていくのか、どういう終わりを迎えていくのか。どういう形になっていくのか。一緒に楽しめたらいいんじゃないかなと思う。今までは前に進む、歩くことで精いっぱいだったのでそれが少しでも共有して、"思考や想い"や"気づき"みたいなものまで楽しめるようになればいいなと思っている。今のところは。歩き出したらそれどころじゃないかもしれないから。

これから作品やイベントといったものがいくつか発表されていきます。
楽しみに待っていただけると。

2022年もよろしく願いします。



以下、年末年始に思った事、日記のようなもの

年末。作品発表に向けてかなり忙しない日々だったと思う。毎年年末年始は何かテーマというか何か新しい事をって思って行動するのだけど、進行形の作業だったりであまりのんびりと考えたりはできなかったのだけど、とりあえず買ったまま放置されていたガンダムのプラモデルを作った。プラモデル作るの10年ぶりぐらいだったかな。小さい頃はよく作ってたけど。MGっていうのを初めて作ったんだけど、思った以上にパーツが細かくて、かなり不器用な方ではあるけど夕方から作り出して気づいたら年が明けてましたね。完成したところで何か思った事は特になかったんだけど、年が明けてゆっくりと思ったことは、"質への集中意識"ってなんとなく感じている。2021年は、というかここ2年くらいは"自己とその方向性"というものをかなり大事にしてて、自分が自分らしい方向を向いている事に対して重要視していた。それによってかなり色味を落とし形を崩し、ただ小さなぽつんとした矢印のようなものになって、それだけじゃあ人にはわかりづらかったりするものだからもっと派手な矢印にっていうのが最近のテーマではあったんだけど、"質への集中意識"っていうのはそれとは全然また違うものなんだよね。年が明け、これからの1年というものを展望する時に派手さとは異なるところへと意識が向くっていうのは、なんなんでしょうね。結局地下が好きなのかもしれないし、まだやり残した事があるのかもしれない。ここに派手な建物を建てる前に、その地下への階段を降りて重い扉を開けて何かを契約しにいくのかもしれない。それが誰のためにもならないのもわかってて、自己満足であり、それが自己を肯定できる唯一の方法とでも思ってるのかもしれない。ただ派手な建物を建てていくっていうのは決まった事で、自分一人でどっちもやらなきゃいけないわけじゃない。そして自分としてはより派手な建物を建てるための行程であると思っている。人のためにはならないし、人の意味にはならない。感謝されるような事は何一つできない。その為の意味が足りない。だから階段を降り続ける。たぶんだけどそれが楽しいから。遊んでるだけなのかもしれない。今日も駅の近くのカフェで考え事をして、それをまとめている。でも何か困っている事があってそれについて考えようと思ったけど、なかなか思い出せない。それがどうでもいい事であり、解決した事であればいいのだけど。

一人で生きているならこのままで良かった可能性もある。社会というのは、生きるという事はほとんどの場合において誰かと関わりながら生きていく必要がどうしてもある。そしてそこには人それぞれの価値観が入り混じる。時代がそうなってきたのか、やっと俺が気づけたのか、気づいたときには手遅れで、それはもう、今、この時なのかもしれない。
正しい事をやってたとは思わない。気を衒うような事をしてきたつもりもない。ただただ自分自身に矛盾がないように、と生き残るための行動をしてきた。その形を変えざるを得ないのは構わない。自分にとって足りないもの、もしかしたら世界に対しての自分の居場所を作ろうとしているのかもしれない。


2021年はあまり動けなかったけど、2022年はよろしく願いします。

エミル


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?