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こわばるきもち、ほぐれるきもち

はじまりはいつも緊張して、心と身体がすこしこわばる。

10年くらい前に小学校を卒業した。小学校の通学路と同じ道を途中まで歩いて、両脇にぶどう畑を見渡せる道に進む。今日からこの道が、中学生になるわたしの新しい通学路だ。背中で揺れる通学鞄がランドセルじゃないことに違和感を感じながら、慣れないアスファルトの上を歩く。紺色の制服も、白いソックスも、新しい靴も、すべてが今までと違ってへんな気分だ。車がびゅんびゅんとゆき交う国道19号の道路を渡って、農作業をするほっかぶりのおばあちゃんを横目に進むと、オレンジ屋根の中学校が見えてくる。わたしが通ったこの中学校は、全校生徒300人くらいの小さな中学校だ。新入生には謎の非公式ルールが適用される伝統がある。制服の白い靴下をふくらはぎの途中で止めなくちゃいけなかったし、運動着の首元のチャックは上まで閉めて絶対に開けちゃだめだったし、運動着の長袖の上着にハーフパンツを履いたらダメだった。今考えても、当時の自分に戻って考えてみても、意味がわからない謎のルールだ。でもルールを破ると、3年生の先輩から目をつけられてものすごく怒られる。

中学生活に期待なんて1ミリもしていなかったけれど、案の定、3年間をとおして良いことなんてほとんどなかった。記憶からひねりだすなら、3つくらい大切なことを学んだことだけは良かったと思う。人を簡単に信用してはいけないこと、話の通じない大人には何を言ってもダメなこと、恋愛ブームの流れに乗って安易に彼氏をつくったらダメなこと。もともと真面目で優等生タイプのわたしは、田舎のヤンキーかぶれにはたいそう不評で、よくいじめられた。見た目が地味だったので「地味ーズ」なんて呼ばれ、ほとんど友達のいない新入生の1年間を過ごし、そこから中学校を卒業するまで心を開ける友達はひとりもいないままだった。こんなふうに書いたら、不幸な3年間だったと思われるかもしれないけれど、ほとんど良いことがなかっただけで、自分ではこの3年間をとても気に入っている。中学生で悩まなかったら、おそらくわたしはいまここにいないからだ。地元の大学を出て地銀とかに就職しているんじゃないだろうか。現在わたしは、高校を出て東京の大学に進学し、贅沢な学びの時間を過ごしている。中学時代が、人生で初めて自分について考えた時期であり、悩んだときや迷って動けなくなったときは、いまも中学時代に立ち戻る。

12歳のわたしに今年22歳になるわたしから言葉をかけるとするなら、どんな言葉をかけようか。10年経っても、未だに友達の作り方がよくわからないから覚悟すること、おかげで大学のゼミでは同期がほとんど辞めてしまって責任を感じていること、そしていま関わっている学習支援ボランティアで心優しい人たちと出会い、すこしずつ協調性や優しさを獲得していることを伝えておこう。先はとっても長いぞ。...でもひとつだけ、すごく感謝していることがある。10年間、いろいろなはじまりやおわりを経験してきたけれど、はじまりはいつも緊張して、心と身体がすこしこわばる。傷つくかもしれないし、悲しい思いをたくさんするかもしれないことを想像すると、怖くて動けなくなってしまうのだ。でもそんなとき、中学時代に立ち戻ればいつも、ふてくされながらも頑張っているわたしがほんのすこし背中を押す。「中学時代ほどつらくないだろう、頑張れ」と。そして、この10年間で傷ついても立ちあがる方法や、まわりに助けを求める方法を学んできた。よく考えれば、はじまりに恐れることはあんまりないのだ。

緊張でこわばった心と身体はもうほぐれて、いつもどおりだ。過去を振り返るのはここでおわり。今日からまた、新しい一日を始めよう。

(ティラミスラテと、ともに☕️)



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