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私が思う、凸凹子育て

大風呂敷を広げたタイトルを付けてしまった…。

でも、聞いてほしいです。
私が、自分の子どもが自閉症かもしれないと思った時
(当時は、スペクトラムという概念はまだ一般的ではなかった)
一番気になって、一番調べて、一番悩んだのは
息子が、この社会で突出した言動をしないようにすることでした。

保育園では、自由遊びの時間からお歌の時間になると
どちらも好きな活動なのに、切り替えができずに癇癪を起こし
給食の時間は、白米しか食べなかったし
言語でお友達と意思の疎通ができずに手が出ることもありました。

自宅では、辛い記憶が多くて抜け殻だったのであんまり覚えていないんですが
言語理解ができないこと、切り替えができないこと、こだわりが強かったこと、味覚、臭覚、感覚が過敏であったこと、これらの特性が生活のすべてにおいて障壁となっていました。

そんな育児で、とにかく、何事にも、みんなと同じようにできないことがストレスでした。
できたことを喜ぶなんていう次元はなく
「普通」にカモフラージュできていれば、本人の成長がどうとか、本人が過ごしやすいことがどうとか、
そんなものはどうでも良かったです。

「普通」にカモフラージュできるようにするには?を追求していった私がたどり着いたりついたのが「療育」だっただけです。
本人の自己肯定感、成長、過ごしやすさ、そんなことより、私がイライラしないこと、不安にならないことが大事でした。

私にとっての障がい児育ての始まりなんて、そんなもんでした。

それでも、時には頑張ってみるのです。
もちろんかわいいわが子。すくすくと気持ちよく育ってほしいのです。
と、同時に
「あの母親は、障害児を生んだくせに責任を放置している」
と思われたくない。
そんな気持ちの方が圧倒的に大きかったことが事実です。

当時は、早期療育という言葉が出回り始めたばかりで「様子見で」と言われていましたが
児童相談所の扉を叩いたのは1歳になる前。療育へ繋がったのは2歳半でした。

振り返ってみて、早期療育の効果があったのか、元々の障がいの程度なのか分かりませんが
言語でコミュニケーションをとり、食事、排せつ、入浴以外でも身だしなみを整える、公共の交通機関を使用する、通院する、買い物をするなどの生活の自立ができています。
苦手なことも多く、できることとできないことの差が大きいことは事実です。

それでも、結局思うことは
苦手なことより、得意なことをどんどんさせてあげる方がどんどん伸びていったし
旬を逃さず、「やってみたい」という気持ちが出てきたときには喜んで挑戦してもらうこと。
子どもをよくよく観察して、できそうなことについての情報を伝えてみたり、導入として親も一緒にやってみる。
親自身がその力を発揮できるか、うまくいかなくても壊れないか、というのは自分で十分にケアをしておくこと。
親だって、余暇が必要。時間とお金は工夫する。

つまり

苦手なことは、とりあえず横に置いておく勇気を持つ

これは、結構大切かなと思います。

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