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偽善者でもいい

発達に凸凹がある兄弟を育てています。
私自身には、診断がつかない程度のADHDがあります。
子育て支援の場で短時間勤務の社員として勤務しながら、
金銭管理の有償ボランティアと発達障害の子どもの保護者支援の無償ボランティア活動をしています。

皆さんは、「やらない善よりやる偽善」という言葉を聞いたことがありますか?
ネット検索にかけてみると、どうやら2ちゃんねるで書き込まれたことが発祥?とされているようです。

「たとえそれが偽善や自己満足であっても、パソコンの前から良識人ぶって人の行為を批判するだけで何もしていないやつよりはマシ」
という意味で書き込まれたことが最初だとか。

この言葉はボランティアの世界観を上手に表しているなぁと思っています。
私にとって、有償であれ無償であれ、様々な活動を究極まで突き詰めると、全部自分のためなのかも?と思っているからです。

私は、高齢者のご自宅へお伺いして金銭管理のお手伝いをする有償ボランティアをしています。
始めた動機は、障害がある一人暮らしをしている方の生活ってどんなものか身近に見てみたかったからです。
今は、高齢者の支援しかできていませんが、活動は今年で7年目です。
高齢者の福祉に触れることは、障害者、障害児の福祉を考える視点を持つことができ
高齢者の方とお話することは、自分にとって人生の勉強にもなります。

発達障害の子どもを育てる保護者交流会を主宰しているのは、自分の子どもが小学生になったとき
これまでの繋がりが途切れてしまって、情報を得ることにとても困った経験から、かつての自分が欲しかった場所を作りたかったからです。
そして、発達障害の子どもの保護者の居場所づくりができたのは、職場での経験があったからです。
決して、最初から自分で居場所づくりをしようなんてことは思っていませんでしたが
結果的に経験を活かせることが分かって作ったというところです。

私が偽善で行動したことで、実際に独居の高齢者の生活を支えることができ
情報が欲しいと思っている保護者の方と出会うことができました。

これって、無駄なことでしょうか。
偽善だけど(※自分の考えとやり方を押し付けないことが鉄則です)双方に良い影響と結果があるのだから無駄ではないと実感しています。

偽善者でもいい。

切っ掛けが何であれ、害さえなければしてもらった当人が善行だと思ったのならそれはただの善となるのである。
この言葉はあくまでも、「結果的に、その行為をされている側の役に立っていれば本人の思惑がどうあろうと良い」という意味で使われるものであり、「自分の自己満足のために善意を押し付けること」を正当化するものではない。

ピクシブ百科事典

2ちゃんねる。なかなかいいこと言う!


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