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発達障害を個性と捉えるか

私は、発達に凸凹がある兄弟を育てています。
私自身は、診断には至りませんでしたがADHD傾向があり
生きづらさは、IQが低いことからきているのではないかと言われています。
発達検査、IQ検査は受けていません。
受けたとしても、公的な支援は受けられないという理由からです。

昨日、エハラマサヒロ、自閉スペクトラム症とADHDを公表
というネットニュースを見かけました。

私は、「障害」を”個性”と捉えるえるかどうかという問題は、
個々によって大きく異なるのではないかと考えています。

以前、「仕方がないから、活かす」という記事を書きました。
これは、天才的な才能を指しているわけではなく、
苦手なことを良くしようという努力より、ちょっぴりの凸を伸ばす方が
時間の使い方的にも、精神衛生上にも良いという意味です。

芸能界で活躍されているエハラマサヒロさんも、きっと日常生活では特性から困ることがあって、大変な思いをされていると思います。
>全然楽しく生きているので
という一言は、「苦手なことを良くしようという努力より、ちょっぴりの凸を伸ばす」ことでそうなったのではないかなぁと思います。

それでも、私が「障害」を”個性”と言い切れないのは、
「障害」はあくまでも「障害」だと抗えないものがあったり、
公的な支援が必要だったり、周囲の理解(納得させる力)が必要だったりすることもあるなと考えているからです。

どうせなら前向きに捉える方が絶対に良いけど、
発達障害の方々の苦労や努力を”個性”で片付けられない現実を知っています。

”活かす”という前向きさの前に”仕方がない”という表現がついてしまうのは、こんな思いからきています。


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