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保護者落第生

発達に凸凹がある兄弟を育てています。
私自身も、診断には至らない程度のADHDがあり、生きづらさは、低IQからきているのでは?と言われています。

「子育てで困っていることはありますか?」
そう聞かれたことがある方はきっと少なくはないと思います。
発達障がいがあってもなくても、子育てには「困り感」がつきものかもしれません。
私たち発達障がい児の保護者からみると、うらやましいと感じる悩み事であっても、それぞれの子どもの環境では「困りごと」です。

いつからか、私は上記の質問をされても
「困っていることは、たくさんあるけど…」と前置きをして
「大きな困りごとはありません」と答えるようになりました。

私の子どもたちは、障がい児というステージの子どもと、健常児というステージの子どもがいるわけですが
障がい児が健常児と同様のステージで生きていくスキルを身に着けようと思うと、気が遠のくほど先にあったり、見えなかったりします。
健常児だけど学習面での凸凹が目立つ子どもが、健常児と同じ程度の学力を身に着けようと思うと、本人にとってとてつもない苦痛を伴わせながら学習をしなくてはいけません。

でも、
・情緒が安定している。
・十分な睡眠が取れて、食事を摂ることができる。
・トイレとお風呂が自立している。
・言語でのコミュニケーションがはかれる。
・学校を含めた居場所がある。
これだけで、私が育てるにあたって「困り感」があるなんてことを言うのは失礼な話だと思っています。

この世の中には、今を必死に、食らいつきながら、傷つきながら生きている人がたくさんいることを知っています。
世の中の制度仕組みなんて、あまりにも狭くて、そのレールに乗っかれないことは、とてつもなく負担と不安が大きいのです。

私は、息子たちが幼少期の頃は、「税金を納められる大人に育てる」と目標に掲げていました。
今まで、ご迷惑をおかけした分、返させなくてはいけないと。

だけど、よくよく考えてみたんです。
私、自分だって「こんなに頭が悪いなんて聞いてない、勝手にこのように生まれた」って思っています。
そんな自分を振り返ってみて、『自分のことだけ棚に上げるなよな~』って思ったのです。

実際の生活では、文句のひとつやふたつも言いますし、できなかったことを指摘したりもします。
それは、一般的に身近にいる人だったとしたら文句のひとつも言いたくなるだろうから、その理解が必要だと考えているし
実際に、共同生活をしている家族という立場で腹の立つこともあります。
本人が困った経験があれば、その原因がどこにあったのか、改善できることなのかを話し合うことができる一番身近な人は保護者である私です。

こんな落第生が育てても、子どもたちは自分の意志を持ち、自分が生きる道を見つけようと必死です。
先日、中学を卒業した長男は、高等支援学校の職業科(就労について学ぶ学校)を進路に選択しました。

早く就職して、なるべく人に頼らずに生きていきたい

のだそうです。
親として、心の中では「それは無理ちゃうかな?甘いんちゃう?」って思っ ています。
でも、物心つく前には支援が整った環境で育ち、いつでも大人に見守られて
支援計画の基に育ってきた彼の自立心の芽生えなのだと思います。
計画された成功体験ではなく、自分で成功を獲得してみて欲しいし
失敗の処理を誰かに教わることなく、やってもらうことなく、自分で考えて、自分で処理してみて欲しいです。

その経験を通じて、もっともっと成長すると思います。
私は、保護者としては落第生で未完成な大人を世に送り出すことになってしまうかもしれません。

だから許してとも、だから私を責めてくださいとも、何とも〆られないの
ですが
障がい児を育てる保護者さんが、みんなすごくて、みんな底抜けに明るくて、みんな努力家でなくてもいいんじゃないかなって思っています。


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