![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134785641/rectangle_large_type_2_cb59e760e9464dc27b09bc4431ad9254.jpg?width=1200)
1994年 都内の高級住宅街にて
雄大な山々や湖を描いた絵が飾られ、上品な香りが漂うリビングルーム。しかしその一角のテーブルには、部屋の優雅な雰囲気と対照的に、殺伐としたオーラを放ち、苛立ちを募らせる女性が座っていた。
「うるさいわね!」
夫人はそう吐き捨てるように呟き、窓の方へ目をやった。
オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン! オークセンマン!......
窓の外から絶え間なく聞こえて来る異音に夫人は顔を歪める。
「全く、迷惑な隣人を持ったものね」
夫人は勢いよく窓を開けると、窓辺の植木鉢を手に取り、隣家のベランダに投げ入れた。陶器の砕ける音が響く。
異音は消え、辺りは静まり返った。
その時、隣家のベランダのドアがガラリと開き、中から男の顔がのぞいた。30代だろうか。
男は陶器の破片を踏みしめながらベランダに歩み出て、夫人の顔を見据えるとやや高めの声で言った。
「やってくれるじゃねえか おばさんよ!」
「おばさんだなんて失礼ねえ、人生まだまだこれからじゃないの」
「"夫人"の命は"不尽"だってのか?」
「あーた、私を誰だと思ってるの?この私に向かってそんなつまらない冗談を口にするなんて、失礼がすぎるわよ」
「知らねえなあ!近所で夫人、夫人と呼ばれていることだけは知ってるが、あだ名か何かなのか?」
「あーた本当に失礼ねえ。元インドネシア大統領の妻に向かって、その口の聞き方はないんじゃないかしら。あーたこそ何なのよ」
「インドネシア?あいにく知る由もなかったなあ。今の世の中では、俺の方が有名だぜ。なんてったって、20万枚を売り上げたあの名曲、2億4千万の瞳を世に送り出したんだからなあ!」
男はジャケットをヒラリとはためかせ、決めポーズを披露した。
しかし夫人は微塵も表情を動かさない。
「2億4千万の瞳?なんなのその曲。気味が悪いわねえ。目がびっしりじゃないの。」
「ああ。日本の人口は1億2千万。その全ての目の数を足し合わせた数なんだ。」
「日本の全員が自分に夢中だと言いたいわけ?思い上がるのもいい加減にしなさいよあーた。」
「この曲の歌詞はそんな意味じゃないぜ!1億2千万人の多様な人々がひしめき合うこの日本という国で、素敵な出会いを見つけることのロマンを歌った曲なんだよ...
まあそんなこと言われても想像つかねえよなあ!やっぱり実際に聞いてみないとな!
𝑯𝒆𝒓𝒆 𝒘𝒆 𝒈𝒐! 」
どこからともなく音楽がかかり、ベランダの男は懐からマイクを取り出した。
「それじゃあ楽しんでくれ!」
見つめ合う視線のレイザー・ビームで
夜空に描く色とりどりの恋模様
この星の片隅2億の瞳が
素敵な事件を探してるのさ
気づけば、夫人の頬には大粒の涙がつたっていた。
まるで生きる喜びそのものを歌ったような曲だと夫人は感じた。心が洗われたような気がしていた。
しかし気のせいではなかったのだ。この時、男の歌に宿っていたエネルギーが、夫人の全身に一気になだれ込んでいたのだった。
まだ誰も、気づいていなかった。
この時夫人が、永遠の命を手に入れたことを......
夫人の命は、不尽となったのだ。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?