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掃く人

雪をかぶっているようなふわふわとした白い木々から、ふんわりとした優しい香りが漂う。それは初めて見る花だった。
「ヒトツバタゴ」、別名「なんじゃもんじゃの木」というそう。

福岡県の岡湊神社を訪れた時、ちょうどこの花が見頃を迎えていた。
そうとは知らずに来たのだが、何かに導かれたのか満開のこの時に来れたことはラッキーだった。
それを目当てに沢山の参拝客が訪れていた。
神社の入り口から鳥居を抜けて本殿に至る参道脇も全て、この「なんじゃもんじゃ」が植えられており、満開の様は見事である。
近づいてみると細い花びらが花というには少し変わった形をしていて、その繊細さも可愛い。
白い木々で埋め尽くされているので、なんだか少し別世界に来たようで楽しく、見応えがあった。

岡湊神社の歴史は古く、神武天皇が宮崎から東征した折に立ち寄られ、1年余りをここで過ごしたことに由来して建てられたということ。古事記にもそのことの記載があり、神社としては1800年もの歴史を誇るそうである。

夏に行われる「祇園山笠」というお祭りも有名なようで、神輿や山笠を担いで街を練り歩くという事。
またそれに先立ち4月下旬には、「あしや人形感謝祭」という行事が催行され、自分の身代わりになった人形や動物に感謝するという。
境内の社務所の一角には、「人形受付」と書かれた窓口があり、対象となる人形を預ける人々がいた。
規模としては決して大きくはない神社であったが、観光客にも地元の人にも永く愛されていることが伝わってきた。

その社務所でもう一つ、神武天皇がここに逗留したことに由来して建てられた社があると案内を頂いた。地図を見ると歩いても行ける距離。
せっかくなので足を伸ばしてみることに。

「神武天皇社」というその場所は、先ほどの岡湊神社の賑わいとは打って変わって、誰1人の参拝客もなく、小さな森に囲まれてひっそりとしていた。
入り口付近には、昭和15年に皇紀2600年を記念して建てられたという「神武天皇聖蹟崗水門顕彰碑」と掘られた大きな石碑がある。
が、それ以外何の案内もなく、その右側を少し歩くと神社の入り口である古い鳥居が見えた。

鳥居をくぐり、階段を少々上がると20メートル先くらいに本殿が見える。
しんと静まりかえっている中で、少し色褪せた赤い割烹着をつけたご婦人がひとり
参道を掃いていた。

参道の両側は少し広めに場所をとってあり、それを囲むように大きな木々が生えている。
時折吹く風が木々の葉を揺らす音。
そして参道を掃く「サー サー」という音。
それだけが響くなか、本殿へと歩き出した。

何というのか、何か懐かしい感じ。
だいぶ以前に伊勢神宮を訪れた時と似ている空気を感じた。
あの何とも言えず清々しい雰囲気。
ひと足ひと足かみしめるようにして歩き、本殿に着く。
小さく簡素だが、ずっしりとした歴史の重みを感じるその前で、深々と頭を下げてご挨拶をした。

参道から鳥居までの帰り道、先ほどのご婦人が、まだずっと参道脇の落ち葉を掃いている。
歳のころは60歳代くらいだろうか、下を向いて竹箒を手にひたすら同じ動きをしている。
あたりを見回すと参道脇の土の上には、ほぼ全てその竹箒の後がついているのだ。
1人で掃除するには広大すぎると思うその場所を、黙々と焦ることなくただひたすらに掃いている。
近くまで来た時「ありがとうございました。」と挨拶するとにっこりと穏やかな笑顔を返して下さった。

階段を降り鳥居を後にしながら、私の心にじわじわと満ちてくるものがあった。
あの方は毎日、広いこの場所を掃いているのだろうか。
どんな思いで掃いているのだろう。
ひっそりとしたこの杜で誰に見られることはない。
広大な場所を全て掃き清めたといっても評価されるわけでもない。
姿から伝わってくるのは、何か大いなるものにお仕えするような心。
きっと同じく、あのお社を守っている大きな木々や鳴き交わす鳥たちと心を通わせながら、ひたすらに掃いているのかもしれない。

ああ、何という出会い。
じーんとした感動が身体中に広がるようだった。


それは旅の最終日のことだった。

やがて街に帰り、忙しない仕事が始まる。
そこでまた焦ったり、悩んだり、評価を気にして人のせいにしたり自分を責めたり・・・。
感動して決心したからといっても、なかなか成長しない己の人間性はわきまえている。
けれどまた悩みに陥りそうになったら、この光景を思い出そう。

宝物を頂いたような思いでその光景を深く心にしまい込み、帰路へと向かった。



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