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安全啓発センターへ 私のあの日

10歳の夏、人生初家族キャンプに来ていた。
車どころか免許すらない両親が知人に送迎を頼み、
当時のテレビ通販で買った真新しいテントとその他の荷物を下ろしたら
1週間のサバイバル。
このキャンプが終われば私達は、
父の仕事の都合で北海道を出て名古屋に住む事が決まっている。
初めての転校。
北海道での最後の思い出作り、だったのだと思う。
不器用で世渡り下手な父の
大人の事情を子供に強いる罪滅ぼしだったのかもしれない。

着けばひたすら波音とラジオ。
テレビがない中、普段留守がちな気難しい父がずっと一緒。
お酒を飲まないとほとんど喋らない。気疲れする。
ぬるい海に入っても上手に泳げずに疲れ果て、
海から上がろうとすれば
波に絡まれて海水を飲みむせてしまう。
砂は払っても払ってもどっかから出てきて
隙あらば口にだって入ってくるし、
後半、すっかりサバイバルに飽きていた。
明後日には迎えが来てくれるはずだと、ぼんやり考えだしたその晩御飯時。
砂っぽいラジオからのその第一報。
父が波に所々かき消されがちなニュースのボリュームを上げる。
両親が固唾を飲んで聞き入っている。
とんでもない事が起こったことを知らせている。
ラジオ放送がそのニュース一色になった。

キャンプ場から戻り、テレビをつけてはじめて映像を見る。
私と同じショートカットで同い年くらいの子が抱きかかえられ
ヘリコプターで救助されている。

時が経ち
新卒で入った会社に
親会社から下ってきたおじさんが社長のポストに就いた。
一緒にお酒を飲むと、記者時代の苦労話をしてくれる。
当時のソニーの井深さんの話、田中角栄の話などなど
その中に、この事故を取材した時の話があった。
事件の概要すらわからず
第一報で着の身着のままとりあえず向かい、
通勤用の革靴であの山を登ったと言う。
生い茂る薄暗い森。
機体や遺品などが点在していた、らしい。

もうずっと焼き付いているテレビのあの光景。
あの子は今、どうしているんだろう?
どうしてあんなことになったんだろう?
自分の中で何となく隅に置いといた。

あの事故から何十年か経ち
縁があり、この施設を訪ねることが出来た。
係りの人の丁寧な説明に鼻をすすり、涙を拭う。
無念でやるせなく、残酷で悔しく、悲しくて腹立たしい。
人間は繰り返す生き物、で、得てしてそれは惨事の事が多く
何かの連鎖でそれが起こったり、偶然のラッキーで防げたりする。
慢心というと際立って怖いけど、日常と地続きだったりする。
惨事自体に意味はなく、突然いたずらに起こる。
のちに人間がそれぞれに
意味を見出して、活かして進んで行くしかない 

のか?本当か?
施設に行ったのが1月、現在同年の8月。
理想的な着地は頭で分かっていつつも、
やっぱりまだ悶々とした感情を抱えている。
事故の真相は分かっても決して晴れないこの気持ち。
飛行機を見上げるとき、搭乗するとき、
ふとした時、きっとずっと噛みしめる。
でも行って良かった。
楽しい気持ちにはなっていないけど
心のどこかが前に進んだ気がする。












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