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友達の友達はみな友達~受け取る側の自分

Twitterで「イ○ンの楽○便にトイレットペーパーを頼んだが在庫がなくなり届けられないらしい…家のトイレットペーパーの替えがゼロなのに、長く立てないから宅配なんだけど…今日一日紙探しの旅に出ます」とつぶやいた。

数分後に家のトイレットペーパーわけますよ~とふたりの女神からDMが届いた。
急いで買い物に行く準備をしていた私は、あっ返信しないと少しワタワタした矢先におひとりの女神から電話がきた。

30分後にはトイレットペーパー3ロール、ティッシュとキッチンペーパーが届いた。
(近くのスーパーやツルハに行って本当にないか見てきて本当になかった…自分の歩くスピードの時間配分を間違え待たせてしまって反省…)

その後、もう一人の女神からは、こっち(道東)から送ろうか~とコメントがあったり。お裾分けしてくれた女神から、トイレットペーパーあったので買っておきますよ~と今日16ロールが届いた。

実際3人はイベントで何度か会い、そのなかでもDMをくれたお二人は会えば挨拶する知り合いというか友達の友達のような関係だったりする。
札幌は都会だ。隣の住んでいる人も知らない。
だけど、今回のことで田舎の温かいコミュニティのようなものは変わらずそこにあることを感じることができた。

「友達の友達はみな友達だ世界に広げよう友達の輪」
タモリさんの言っていたことが本当だった。

トイレットペーパーが届き、楽○便が届き、スパイスの穴ムジナさんのカレーの宅配が届き、偶然一階に郵便屋さんが来ていて頼んでいたキヌバリコーヒーが壁にたてかけてあり、それ私のですと受け取れた。
同じ日に全てがどんどん届くのも不思議な何かに引き寄せられているような1日で楽しくなった。
急なことには反応できない弱者だということを忘れずに、ちゃんとストック(自分の在庫管理)はしておかないと自分を守ることはできないと感じさせられた1日でもあった。

そしてもうひとつ気がついた。
私は仕事も含めて何かする側、頼られることが多かった。困ったり、助けを求められれば手をさしのべるし、できる人、得意な人がやれば良いと思ってきた。それが当たり前で普通だった。だから今でもできることは率先してやるが、受け取る側に慣れていない…
5年間の病人生活で助けてもらうことは少しは慣れたと思っていたが、まだまだ感覚として受け取る側には嬉しさと照れとでムズムズとした違和感のようなものが残ってしまう。不器用…笑

必要な人に必要なものが届く範囲の備えを。
今年こそは受け取る側に真っ直ぐな素直な人になろう



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