主に依り頼む人は、シオンの山!

私が教会音楽科に入学した2021年9月には、先日亡くなった先生は入院されていました。グレゴリオ聖歌の授業があったのは年が明けてからで、その時に自分は心不全だとおっしゃいました。それを聞いて、「私は先生から直接教わる機会はないだろう。ならばミサに行こう」と、毎週日曜日は9時半からの聖歌隊のリハーサルも含めてミサに与っていました。

2024年3月10日(日)は四旬節第4主日でした。先生が最後に聖歌隊に指導した最後のミサでした。一ヶ月前の灰の水曜日には先生はミサに来られていたのですが、その後ずっとお休みされていました。この日は先生が来られるということで、少しざわざわしていて、早く来ていた私が車椅子を聖堂に運んだりしていました。

先生は自宅から歩いて来られ、階段も自力で降りて、車椅子に座り、聖歌隊を指導していました。この日のミサでは聖歌隊は詠唱を歌わず、代わりに侍者さんがリーフレットにある詠唱を唱えていました。

午後から別のミサで歌うことになっていたので、午前のミサを途中で退席しました。ところが電車に乗った途端に人身事故の連絡が入りました。代替ルートもなく、「私がミサを途中で抜けたから先生が怒っているのかな?」とふと思いました。でも、人身事故にしてはずいぶん復旧が早かったのです。

実は午前のミサの参加者に午後のミサにも行くという人がいて、この人はミサが終わるまで絶対にいなくてはならないのですが、ミサが終わって駅に着いたら電車が動き出したそうです。きっと先生が「〇〇さんがいないとミサができないから」と取り計らってくださったのかもしれません。私は歌のリハーサルには間に合いませんでしたが無事に着くことができ、その方も十分間に合って到着できたようで、いつものように司祭を助けていました。

このミサでは午前のミサでは歌わなかった詠唱を歌いました。女性4人で歌うのと、午前のミサより会場も会衆の規模も大きいのと、私の聖歌隊デビュー戦だったので、ものすごく練習しました。歌詞は詩編125の1、2節ですが、詩編120からつながる神への信仰、神の恵みの壮大なストーリーで、だからこそ、sicut (〜のごとく)という単語があっても、「神に依り頼む人は、シオンの山」と言い切る訳となっている(新共同訳)。そして、印象的なメロディを持つ曲なので、声をひとつにして歌いたかったのです。

なので、修了演奏会で何のグレゴリオ聖歌を歌おうかと考えた時、この詠唱”Qui confidunt in Domino sicut mons Sion”しか、私には選択肢はありませんでした。私以外にこの曲にこんな思い出を持つ人がいるのだろうか?あの聖堂で詠唱を歌うことで、先生が最後に参加されたレターレの主日を完全なものにして、先生にお聞かせしたい。これは、毎週聖グレゴリオの家のミサに行っている私にしかできないことだ。神様からのメッセージだ。

演奏会当日は、午前のミサの聖歌隊と午後のミサの聖歌隊と一緒に歌っていることを感じながら歌いました。シオンの山々からエルサレムが守られているように、聖歌隊の上に聖霊が下り、聖堂いっぱいに聖霊が満たされて、神の恵みを感じながら幸せな気持ちで歌うことができました。

修了演奏会では”Nascere, nascere, dive puellule”(聖なる御子よ、早くお生まれになってください)という曲も歌いました。元々は違う曲を歌う予定でした。亡くなった先生がぜひ私にその曲を歌ってほしいとのことで、頑張って練習していたのですが、音域が合わなくて苦労していたので、直前にこの曲に変更しました。長い曲ですが、最初の3ページのみ歌いました。曲を変えることに躊躇はもちろんありました。伴奏の先生から「こんなに歌えるのに、3ページだけなんてもったいない。最初からこの曲にしてれば全曲歌えたのに」と言われ、自分の歌を認められてうれしいと思う一方、なかなか気持ちが切り替えられなかったのですが、その曲も「神の恵み」がテーマであるので、友人のために歌おう、と気持ちを切り替えることができました。

私にロザリオと街角のマリアの絵をくださった、大切な大切な友人。この学校に通っていることでできた唯一の友人であり、同志でもある。彼の上にいつも神様の恵みがありますようにと思いながら歌いました。「シオンの山って、ヤッホーと言ったらこだまが返ってくる感じの山なの?」という私のくだらない質問にも丁寧に答えてくれて、本当にありがとう!

演奏会で弾いたブクステフーデのシャコンヌは、変奏曲の変奏曲になりましたが(要はいろいろ間違えた)、テンポがどうしても揺らいでしまうところが、先生が「きちんと弾けたじゃない。私もテンポ数えていたわよ〜」ニヤッと笑いながらおっしゃっていたので、まあよしとします(リップサービスとは思いますが)。

というわけで、無事に修了することができました。もう次がいろいろ走っているので、修了はただの通過点にすぎません。いつの頃からか「会衆の祈りを支える人になる」という気持ちが芽生え、ミサで歌うのみならず、グレゴリオ聖歌の即興までやるなど、今まさに叶っていることは神様から指名されたようにしか思えません。さらに忙しくなるのはわかっているので、体調に気をつけて、神に感謝して、これからも頑張ります!