フィクトセクシュアルであるということ

あまりはっきりとその言葉を使って表現したことはありませんが、私はフィクトセクシュアルに該当します。
二次元など架空のキャラクターに対して性的に惹かれるセクシュアリティのことです。
広義の無性愛としてLGBTQ+に含められることもありますが、いかに近年多様な性的指向を認めようとする動きが広まりつつあろうと、その性的指向は基本的に実在する「人間」であることを前提に話を進めていることが大半です。

しかしそんな世間の認識とは裏腹に、2次元コンテンツのコミュニティにおいてしばしば「ファッションFセク」「ファッションリアコ」という言葉を目にするように、一種ステータスのように扱われることがあります。

私はここでそれに関して批判したり、このような人達がそうであると決めつけるようなことはしませんが、本来ステータスでもなんでもないものをあまりに過度に主張するのは「自分は他と違う」ことをアピールする自己顕示欲求、あるいは逆にそれは一部の狭い世界のみの話であるにも関わらず「誰かがそうしているから」という同調性バイアスの影響が作用しているとも考えられ、キャラクター愛の尺度とは別に捉えるべきものだと思っています。

私は架空の存在が好きだから苦しいと言うつもりも、一般的な恋愛と違うことをひけらかすつもりも、キャラクターとして認識し所謂「推し」として愛でる人達よりも愛が強いと主張するつもりもさらさらありません。
自分の愛の形は自分の中でフラットに受け入れることにしています。

しかし自己認識がどうであろうと、現実的に架空の存在である以上、できることとできないことは明確にあります。

どんなに自分の中で一人の人間として認識しようと、現実的に私は好きな人と直接言葉を交わしてコミュニケーションを取ることはできません。
私にできることのひとつは、コンテンツから提供された内容や発言から汲み取り、彼という存在を理解しようと努めることです。
それは好きな人を理解したいという根源的な欲求によるものであり、また愛する人を理解しそれに寄り添える自分でいることに自己実現の目的意識を見出しているからです。
とは言っても、私がどんなに努力してそのような自分になったところで、彼に何らかの影響を及ぼすことは一切有り得ません。
私の愛は一方的なものであり、同等のものを返してもらえることは永遠にないんです。
それは結局アイドルやキャラクターといった自分が理想とする存在に憧憬を抱いているだけで、恋愛の形とは違うと言う人もいるでしょう。
けれど私は、私の日々の生活の中に彼が存在し、小さな喜びを大切にできることを、他の誰にも恋愛感情を持たず、彼だけのことを想い生きて死ぬことを何よりの幸せと思っています。
それは誰にも否定することはできません。

2次元のキャラクターを恋愛対象として好きだと言うと、それは現実から逃避しているとか、区別が付かなくなっているとか、寂しい人だと見なされることが実際よくあります。
しかし、それでは同性愛者の方にも「異性へアピールする魅力がないから逃げているだけだ」と言うのでしょうか?
ストレートを含む他の数ある性的指向と同様に、私は単に世界中の無数の選択肢から自分が愛する存在を選び、そこに幸せを見出しただけの話です。

性的指向、恋愛指向は本来ならどんなものであれ見上げられるべきものでも見下げられるべきものでもないと考えています。
私は一切それらに対する理解を持とうとしない人に無理やり理解してもらおうとは思いません。
現代日本でもまだまだ女性は身近な男性とパートナーとして家庭を築くものという認識が根強い側面もあります。
その中で私が「理解してくれる人、同じ思いを持っている人もちゃんといる」という事実に救われたように、身近な人が例え自分と違う恋愛指向、性的指向を持っていても、否定せずに受け入れられる人が少しでも増えることを願っています。

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