それっぽいこと改 ギフテッド



過去にそれっぽいことって記事あげた
でもなんかその時は
人に嫌な思いさせるかなってやめた
争いが嫌だなって思って
そしていろいろあってその時逃げた。
ひとに押し付けてね

だからそれはもうしない

その時いってたことは
別に当たり前のことだった
そして大切な視点だと思う

あらゆる言葉と定義で取り繕い
それっぽくいえば、まぁそれっぽい
肩書きもあれば尚更、なくてもあるけど

とまぁ、世の中いろんなケースがある


giftedが書く文はわたしからみると
なんかわかりやすい、絶妙なかんじ
(※全部とはいわないけど、
  まぁ3割認知できるかな?少なッ、まぁ直感!
   ↑少しの傲慢さを感じますね)

合理性を感じ、自らが必要であると
認識したうえで、なすというようなかんじ

あとは素直でまっすぐなところ
巧妙に隠されていたりするけれど

言葉では言いづらいけれど

あとはー
極端かと思えば繊細だったり
稚拙かとおもえば高尚だったり
ストレートなのに、軽やかで
フラットに見せて、ある部分は
さりげなく強調していたり
些細な配慮が見えるときもあれば、
配慮しすぎて消えちゃいそうな時もあるし
あえてしないこともあるし、
どこまでもストレートであったり
自然すぎて、空気みたいな時もあるし

そして言葉の音やかたち、温度を
深く理解していたり、

何重にもかけられた魔法のようだ、、、謎
それって全部じゃん?って、そうかも

奥に繊細な心を感じるよ
人を傷つたくないため配慮とか

あんまり歪みを感じない感じ
ありのままを感じる

わたしが記事にスキすると
バランス狂うからすごく考える
いっちゃえーって時もあるし、
多くの記事はその人らしくていいなって思う
けど未来をみて、「やめとこ」ってのもあるし
この界隈の異質さと、間違い率の高さも
理解している、そしてたいていのケースで
想定された問題が起きたりする。

なので巻き込み事故みたいなものがあるから
なるべく避けたいとかいろいろあって、
スキを敬遠します

仮に交流をはかるなら
別のアカウント作りますというはなし


ギフテッドを自称する人いる
このアカウントもそう
自称ギフテッド

(giftedという名はいらないけど
ただそれを構成する要素と、それに係る
困りごとにはこだわるよ)

このアカウント含めて、有象無象

有象無象のいうことなので
流してもらって良いが
気をつけたいのは、それっぽいものだ
言葉を弄するほど、見えづらくなる

不要な要素を取り除いていった時に
最後に残るのは、

かわいらしいハート?
それとも梅干し?
それとも隠しきれない傲慢さ
どれでもよいけれど



ギフテッド関連ほどわかりやすい構造のものは
ないと思う
だってすごいわかりやすいから
その要素のあり方って、
いわゆるなんかすごそうなものだから
それを理解できているのなら
みんなから「ぉおっ」て思われるから


存在するのは

・当事者

・当時者でありたい人

・理解しようとし、
 支援をされてる人

・理解しようとするけど、ただ単純に
 難解だから結果間違ってしまう人

・自らがその難解なものを
 理解できるというすごさがほしい人

・わからないから素直におしえてという人

・みんなで助け合っていきたいという人

・言葉はいらず、行動で示すのだという人

・論ずるのは無駄じゃんっていう人

・考察して、これかなーっていう人

本当に困っているから助けてほしい人

・他

(多分"意図しない"人にもダメージ与えてる
ごめんだけど、なるべくなら離れてね)


わたしだって普通に
嫉妬、自己愛とかいろんなものが
あるときもあった
でも、それを感じたんだなって
理解できるということができるから
そもそも最初の時点の様々な感情を感じるということを、自分だってめちゃ理解ができる

ただそれにすぐに"気づかされるから"、
その後の行動はかわってくる


最近だとギフテッド関連の
記事を読みあされば
さらにそれっぽく模倣できるし


後出しは楽だ、
自分のオリジナリティと合わせれば
現時点で1番それっぽい
でもこれは物事全てそうじゃんといわれれば
ぐうの音もでない


前提としてわたしもその中の1人ではあるので
そういう人の1人だと認識いただきたい


だから本物が、かき消されていくのだろう

でも本物なら、消えないよね
だって矛盾なく、真であるから、
書いている人の心がクリア
最初の一手が正しくあるから


そしてもし仮にその記事が真でないなら

矛盾点、違和感は消えない

本来、外しちゃいけないルートを
ジグザグに進んでいっているような

そもそも、そのスタートから
ズレてるというような

ぁあ、違うよなーっていう、あのかんじ

giftedという言葉をもちいればこそ
シンプルにわかりやすい 


よーくみると、あれ?という違和感
要素の一個一個を正しく扱っているのか
前提の要素はそもそも己の中で検証されてるのか
当たり前のように定義しているそれを
そもそも前提として知っているのか?
知っていると思い込んでいるのか
そしてそもそもなぜそれをする必要があるのか
先はみえているのか

(わたしも知らないことたくさん
あるのでそう言う時は調べたり、
人に教えてもらいます
そして最後にこの体と目で検証します)

最後の最後になにがしたいのか?
他人には関係ないのだろうが

それはケースバイケース
その先の未来に何が起こる?という懸念は
考えなければいけない

積極的分離という概念が
そもそも人に当てはまっていることが
おかしいと思えてしまうほどのものだと
個人的に考える
(かなり多くの人が積極的分離の1というのが
割合的に考えて、あまりに多い)

↑いいとか悪いとかのはなしではなく
こんだけあったら、割合はこんなにも
違うよ、というただそれだけのこと


そしてそのgiftedという概念を
何かしらの概念と関連づけることへの違和感

もちろんパターンで似ている事柄は
世の中に存在すると思うが

絶妙に近いのに、全く別のものも存在する

そしてそもそもなぜくっつけるの?
なぜくっつけたいの?
わからないから分かりやすく?近い要素を?

それならその要素のこの部分は似ているけど
この要素はこうだよねと、細かくする必要がある

わたしも近い要素は疑う

そして海外の、先に進んでるところは
かなり理解が深いのだろうとも理解できる

なので他の概念と比較するのではなく、
組合せるということに違和感を感じる

仮にそうなら、そもそも"最初から"その概念に
包括されてるのでは?

なぜgiftedという概念が
「独立した定義」として存在するのか

そう、そもそもだ、そもそも

前提の違和感

違和感をもったら、会話なんて
スタート時点から成り立たないようなもの
そこに成り立たせる心と、
すべき理由があるからそうする

誰かを置いていくことは簡単だ
ただそれはしたくないからしない


積極的分離は必要だから
そこに行き着くものだと思う
そして考えされられた果てに
そして最後に自らで考えた果てに

抽象的であるということ、
わかりづらい概念であるということは、
"結果的に"そうなっているということだ

たいていのものは
分かりやすくなっているでしょ
でも積極的分離はちがう、
意見が"恐ろしく"一致しない
(主観)

シンプルにすればするほど薄くなり
そうだと思い込めば思い込むほど遠くなる

そういった特殊なものだと考える

理解するにはまず
"決め付けた"という自分を認識しなければ
理解が難しいと考える

どこまでいっても、
このことは理解がそもそもできないものだと
その前提で考え続けた上で、
理解に至るのかもしれない


第3因子というものを本当に
理解しているのなら
"病気とは別だと"理解できると思う

そしてわたし個人ではなく
それを乗り越えたものを観測した、
近い環境で観測してきた、という経験がある

単純にすごいとかすごくないとかでなくて

異質なもので構成されているから、人が
わからないということがとても理解できる
わたしも入る体がちがえば、
知らずに生きていただろう

だれだってそう、経験してなければ
シンプルにわからないただそれだけ

わからない時はわからないっていえば
いいというすごくシンプルなこと、
でもそれはすごく難しいよね
だれだって人よりわかっていたいから


わたしも普通にみんなといっしょに生きてきた

そして人が何がどれくらいわからないというのを
ここ一年でより理解できるようになった
他者理解というものだ

だからこそ、それを間違えるということを
多くのケースで想定できるということ

そもそも本来、間違えて当然とういうもの

みんなが理解ができていたのなら
世の中のバランスは
すでに違うということだと思う謎

間違えづつけた上に、
間違えを認識した上で
理解に至るのかもしれない

だから、シンプルに
「全然わかんない」ということを
言える人がすごいって心から感じる

わからないことをわからないと言えること
とても素敵なことだと

何が言いたいかというと
(いろいろ脱線しすぎたけど、悪くない)

それっぽいものは無数に存在し、
そして、増えたり減ったりする

だからいつの時も、心でみる必要がある
(特にgiftedを用いたものは)



余計なものをはぶいて

最後の最後に残るのは

なんなのだろう

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