自分が何者でもないことに気づく時

こんにちは。


ネガティブな話題が続いて申し訳ないです。

でも私としては、なるべく後ろ向きな感じじゃなくてフラットな気持ちで表出しているつもりで、またそう思える程度のことだけを表出しています。
悲しいかな、本当にしんどいって思ってることは人に言ってもお互い憂鬱になることばかりです。

今日はタイトルの通り、自分が何者でもないと気づく時について思うことを書き綴ります。



これまでの人生で失敗したと思うこと、後悔していること、あまりないなぁと思っていました。

でも、高校受験の競争を勝ち抜いた精鋭たちに囲まれた時、ようやく、自分は何者でもないんだと気づきました。
自分は勉強で秀でている、という感覚が、一気に打ち砕かれたんです。

そこで、演劇に打ち込みました。誰よりも脚本を書き、観劇しました。またここでも、部活内ではそこそこに秀でているという感覚を掴みました。

これもまた大学に入って劇団に入って、圧倒的にキャリアのある精鋭たちに囲まれることで、木っ端微塵に打ち砕かれることとなります。


私にとって「何かにおいて秀でている」という感覚は、自分の魅力とほとんど同じです。
だから、秀でているものが段々となくなっていく(実際は何者でもないとどんどん気づいていく)ごとに、自分の魅力がなくなっていく感覚に襲われます。

大学に入ってからそう思うことが増えました。
今は演劇活動を休んでいて演劇の楽しさを感じられない上、同世代の人たちは稽古に勤しみ、どんどん実力をつけていっています。優劣ではなく個性の世界ではありますが、自分の劣等感は募るばかりです。
かといって学業は平々凡々。同級生は就活に教採対策に勤しみ、いつの間にか「一緒に受かろう!」の一体感に入り損ね、取り残されていました。

そんな中、大学生活で唯一やり甲斐を感じられるのはキャリア教育にまつわる勉強でした。フリースクールについて調べたり見学に行ったり、文献を読んだりすることは楽しいので、他のキャリアの学生よりも自学に励んでいるだろうなと思い、自信を持つことができていました。

でも私の視野はめちゃくちゃ狭かった。
先日、学科の先生のツテで高校の授業のお手伝いに参加させてもらった際に、別の学科の学生さんと出会いました。
彼らは1年生の頃から様々な活動に取り組んでいました。視野は国内だけでなく海外にも向いていて、企画を立ち上げたり現地調査をしたりと、とても活動的でした。
優劣ではない。大事なのはそこじゃないとわかってはいるのに、あぁ負けたなって思いました。圧倒的に足りなかった私の行動力。ぐほっ。

いっぱい悲しい現実を書いてしまったのですが、書いてみてわかったこともあります。
私は、他者と比較する、他者の評価を勝手に予想する、他者を羨むばかり。他者他者他者。
自分で自分を認めることができない。
この悪い癖と上手く付き合っていくにはどうしたらいいか、考えてみようと思いました。

今の私は悲しいほどに何者でもないけど、いつでもいいから何かになりたいと思う。
少なくともおばあちゃんになった時にべっぴんさんだったらいいなと思う。
今のままある日突然死んでしまったら、未練タラタラすぎるなぁとふと思う。
後悔ないように生きたいところだけど、現代社会って、先のことを考えながら生きていかないと上手く生きていけないじゃないですか。先を見据えて先を見据えて。いつでもどこでもリスクマネジメントして。
正直クソつまんねぇなって思う日々です。でもそれを蹴っ飛ばして我が道を行ける勇気は、残念ながら今の私にはない。


どうしたら人生って謳歌できるんだろう。
なんて、散々風呂敷広げた挙句にこんな壮大な一言で終わってしまおうと思います。
広げた風呂敷は、いつか責任持って畳みます。

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