共同体崩壊はなぜ起きたか

かつて職場が「共同体」だった、というのは同意である。「自分の場」であり「仲間との場」であり「生活のベース」だった職場は、いつのまにか「オカネを稼ぐ場」になった。

これは僕にも覚えがある。プライベートを侵食されるような「職場の束縛」を、僕は徹底的に忌み嫌っていたし、20代の全てはそこからの自由を獲得するために費やしたと言ってもいい。

だがしかし、今はそれが「誤り」でないとしても、「視野狭窄」の結果だったと自省している。

またまたハンナ・アーレントだが、「労働・仕事・活動」の分類を考えると、当時の僕がやっていたのは「労働」だったのだ。だから「プライベート」と「労働≠仕事」を分離することに拘っていただけなんだよね。

さて。
そういう意味で考えてみると、「終身雇用制」と今の「共同体の崩壊」にはあまり関係性はないように思える。終身雇用制であっても、携わっているのが「労働」であれば、人は共同体から離脱し「プライベート」の繭に籠る方向に向かうからだ。

当事者性のない働き方=労働、であり、「労働者」が文字通り「労働」に封じ込められてきた結果、「共同体」は崩壊し、我々は「誰にも必要とされない人間の群」に貶められてしまった。

だから、幸福を取り戻すためには、もう一度「仕事」と「活動」つまり「当事者として生業を捉える」マインドを獲得し、「仲間」とともに戦える組織カルチャーを再構築せねばならないんである。

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