転校生

このあいだの皆既月食の前後、

手放し?解放? 
目に見えるほどではないけど、とても大きな変化が絶えず起きていて、喜んでみたり、悲しんでみたりしているうちに、一ヶ月はあっという間に過ぎていく。

昔、俗にいうママ友グループというカテゴライズで良く話をしたりしていた友人達が、様々な事情で、この街から離れていくことが続いている。
ちょっと不思議な趣味で繋がっている様に見えた私たちだと思っていたけれど、本当はそれほどでも無く、多分、それぞれ皆、自分探しに夢中だったのだろうなと思う時がある。

幼い子どもを育てていたその時代は、
きっと、人生の中で一番、「人と上手く関わりたい」という、自分への無理難題に挑戦し続ける日々だった様に思う時がある。

育児に上手く関われないなどの理由を付けては、現実的に協力してくれる訳ではない家族と子どもとの狭間で揺れ動く自分、
昔はそれなりの社会的評価を受けて、自己肯定感の塊だった自分、
その、両極的な自分に絶望感を感じる自分、
子育ては、時に残酷なまでに、そんな自分の姿を鏡に映される様なそんな気分になる時がある。
特に、子どもというただでさえ未知な存在が、さらにスペシャリティを持っていたとしたら、それはもう、宇宙人との出会いの様な、そんな気分になるのも当たり前の様に思う。

そんな時期を、自分一人の力で乗り越えるなど、出来やしないのだ。
物理的にも、心理的にも。

パートナーは、そこに物理的な安定をもたらす存在として認識することで、衝突することが減った気がする。
俗にいう「ATM夫」では無く、役割が違う存在として認識するということ。
人間には肉体がある以上、私と同じことをこなせる訳が無い。
心理的に寄り添う部分が必要だとも感じるものの、それは、人間的に別であって。
その人にも人格があることを思えば、それも無理に等しい。

相手に期待をしすぎない、の一言で、救われる気がした。
そうだ、自分ではないのだ…と。
同じことを求める必要も、同じことが出来ないことを責める必要も無く、
そして、それは全て、自分のせいではないことも。

当たり前なのだが、そんなことが単純にそうだと思えないのが、追い詰められた人間かも知れない。

特に、子どもについては、母親はどこか、引けないという危うさも持ち合わせている。
そして、社会の中の何気ないのかも知れない、何とか神話という呪縛に苦しむ部分があるのも、
価値観の中に、あなたが子どもを産んだのだから…あなたの子どもなのだから…ということがあるからかも知れない。

そんな息苦しい日常の中で、ママ友はどこか、戦友の様な存在でもあった。
ママ友との些細な会話に盛り上がったり、時に熱い思いを話し合ったりするその時間、子ども達と共に遊んだりするその時間は、
楽しくもあり、時に辛くもなる。

何故だろうか。
楽しい筈のその時間に、何かを比べる自分が見えてきてしまうのは。

相手のことを深く知らなければ生まれないのかも知れないその感情ではあるが、
知らないということは、そのグループのメンバーには居ないということでもある。

いじめを経験してきた身としては、その、女子特有の「群れる」に入れないことは、女子社会から離脱することに等しく思えた。
それは、自分の傷や蓋をしてきた感情に再び対峙する時でもあった。

小3の学期途中の中途半端な時期に、引っ越しをして、転校した。

のどかな漁村から、都会の街へ引っ越した私は、この街で事故に遭わずに生きていくだけでも精一杯だった。
しかし、使っている教科書も違ったからという理由で、転校してから一か月もの間、自分にだけ、学校指定の学校購入物品が手元にない生活が待っていた。
転校したばかりで、声も掛けられないほどの緊張感を感じる小学生の子どもにとって、物品を毎日毎時間、誰かに借りたり見せてもらわなくてはいけないということは、相当な苦行だった。
今思えば、担任に配慮が無いと思うのだけど、そんな担任は、後に校長という管理職に就くのだから。
その事実を知った、大きくなった私は、そんな教育現場に一石を投じられる存在になりたいとさえ思った程、担任が嫌いだった。

学校に行かなければいけない、でも、行った先でも心臓が飛び出そうなほどの苦行があることが分かっている…絶望。

そんな私に、更なる追い討ちが…

それは、「女子グループへの所属」というものだった。
一見すると、好意的に見えそうなその言動の裏に、時々、ものすごく鋭いものが隠れていることを知った。
「友達になろうね」と言いながら、物理的にどうしようもないようなマウンティングを仕掛けてくる等、
今、思い返すと笑える様な話でも、当時は、本気で悩んだものだ。

一人でいても良いのだ、なんて言う話は、ある程度の経験を一通りした上で、自分が選択肢の一つとして納得すれば、受け入れられる価値観の様に思う。だって、一人でいれば、「えーっ!信じられない!暗すぎるんですけどぉー!!」と言われ、
男子グループに入ろうもんなら、「男好きですかぁ?うわぁー…」と、言われる。

小学生の女子にとって、
グループの頂点に立てるほどのキラキラ?(今になれば、それは真逆の真っ黒なものだと分かるのだけと…)系であるか、
真逆の暗い人(今になれば、それは芯が強く最も硬いダイヤモンドの様な価値観を持っていると思う)か、
若しくは、その間の、普通の人、か…。
それは、いつだって、自分を苦しめる価値観だと思っていた。

そんな自分の嫌な記憶が、
ママ友グループという存在に出会った時に、一気に自分を襲ってきた。
一時的に頭がおかしくなった時期もあるし、
いろんな事をやらかしてきたなと思う。

そんなグループが、いよいよ解散するらしい。

「解散だよね」の言葉に、ハッと目が覚めた。

と、同時に、
どうしようもない程の悲しみにも直面した。

仲間だと言いながら、
解散があるのか…と。
何故、そんな付き合い方になってしまったのか、と。

人は変わるものである。
だけど、変わらないものもある。
大切なものは目に見えないのと同じ様に、
縁にも絆にも、終わりはないのではないかと信じていた自分が…

可哀想に思えた。

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