もうすぐ8年間が終わるね
夫と出会ったのは学生時代のアルバイトだった。綺麗な鼻に一目惚れして、約半年間シーソーゲームを続けた結果、付き合い始めた。
それから8年。
ちなみに今週末は3回目の結婚記念日。夫と「なんか美味しいものでも食べに行こうよ」なんて会話を弾ませている。
でも、正直なところ結婚記念日にあまりこだわりがない。たぶんそれは彼も同じ。
「3年目の浮気ぐらい大目に見るものらしいけど、結婚して3年目の重要性というか節目?っていうの?よくわからんよね」と寝る間際に話しかける。
「んーなんかもうぶっちゃけ結婚して何年目とかどうでもいい。それ以前だし。8年目の浮気はなんか笑えない」と、もごもご返事をする。
結婚することに何か意味があったかと聞かれたら「たぶん、ない」と答える。
夫婦別姓とか同性とか色々あるけど、私たちは日本という社会が生み出したパッケージに沿っただけ。
「とりあえず結婚っていうものをしてみよう」他にも理由はあったけどベースは多分こんなもん。婚姻届に名前を書いて、入籍して、同じ苗字になって、結婚式をして…。
振り返ると「ふたり」にできること、手の届く範囲のステップを踏んできた8年間だった。
広い家もいらない。車もいらない。ハワイに行きたいとかも特にない。毎日「ただいま」「おかえり」ができればよい。
そんな私たちの間に子どもができた。いよいよ来月には「いつ生まれてもよい」という状態に入る。
「ふたり」で過ごした8年間がもうすぐ終わる。楽しかったよね。ふたりっていいもんだったよね。
「ふたり」から「さんにん」になることで、結婚の意味がさらにどうでもよくなった。
うまく言えないけど「まあやっぱ結婚は通過点で、そこになんも意味はないな」という感じ。
今夜、彼はいない。私が何よりも苦手な「ひとりの夜」だ。「たかが一泊二日の出張ぐらいで」なんて言うけれど、慣れないものは慣れないし、寂しいものは寂しいんだ。
でもきっと、彼がいない夜の寂しさももう終わるのかもしれない。
だって「さんにん」になるのだから。
未知なる世界が待ってるんだなあ。
「さんにん」ってどんな世界、景色なのだろうか。「ふたり」が当たり前になってしまった私には、想像ができない 。
だから、今夜はふたりの楽しかった思い出をめいっぱい思い出して眠るよ。あなたのパジャマを抱きしめながら。
おやすみなさい、また、あした。
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