寂しいし、恋しいし、切ないけれど
≪この社会は、失敗や、不幸や、ひとと違うことを許さない社会です。私たちは失敗することもできませんし、不幸でいることも許されません。
いつも前向きに、自分ひとりの力で、誰にも頼らずに生きていくことを迫られています。
私たちは無理強いされたわずかな選択肢から何かを選んだというだけで、自分でそれを選んだのだから自分で責任を取りなさい、と言われます。これはとてもしんどい社会だと思います≫
一見救いのないこの言葉を欲するのは、見えない壁で塞ぎ込まれているような息苦しさがあるとき。
日本という国で、色々な人が色々な手段で、身を削りながら生きていて、そこに善も悪もないのだと教えてくれた人がいる。この一冊を私に手渡したくれた人も私の視界を広げてくれた1人だ。
コロナの一件で、日本という国に生まれたことすら「自己責任」と言われているように最近勘違いしてしまう。
みんな必死になって生きているのに、平等に扱われない誰かの生活があることを知ってしまったのが本当に辛く悲しい。
≪だれか他のひとを大切にしようと思ったときに、私たちはまず何をするかというと、そっとしておく、ほっておく、距離を取る、ということをしてしまいます≫
物理的なソーシャルディスタンスだけでも、身がちぎれるほど寂しい気持ちになるのだから、気持ちだけでも寄り添っていたい、私にできることがあるなら教えて欲しい。全力で身を投じるから。
寂しいし、恋しいし、切ないけれど、痛み分けできるひとがいることが幸せなのだ。そう言い聞かせて今夜は寝る。
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