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妻になっても、母になっても、人生は私のもので #きみ心に耳を傾けない母でごめん

5歳になる長女ことチョージョが自分の気持ちに蓋をした。「蓋をする」はまだ言いほうなのかも、もしかしたら「押し殺した」かもしれない。

人の話しを最後まで聞くのが苦手で、自分のことをわかってほしくて「でもね」「違うの」を連発してしまう33歳の母を持つのは娘たちにとってとてもしんどいことなのだと思う。私も激しく自己主張をする母を持つので、とても気持ちがわかる。最近になって「いや、まず私の話しを聞いてくれんか」とようやく母に言えるようになった。そうスムーズに切り出すまでに30年ぐらいかかった。

平日をワンオペで回すには、チョージョの協力が必要で、気づけば私の中で一番わかってくれる相棒という役割を押し付けてしまってる。彼女も彼女でその立ち位置を誇らしげに感じている様子もあるけど、まだ5歳なので「なんで私ばっかりママの言うことを聞かねばならんのだ」という態度も出してくる。私の気持ちに余裕さえあれば、理由を説明し、私も彼女も納得できる形に話し合える。でも、そんな月曜日から金曜日までの間にどれだけできてるかと聞かれれば数日にも及ばないレベルだと思う。多分数回とか。

フルタイムの仕事、チョージョの幼稚園の準備、次女・にゃちの保育園の準備、家事、おやじ。頭の中をぐるぐると駆け回るサムシングをぶった切っていくことを最優先としてしまうため、チョージョの心のしんどさに気付けなかった。私なりにわがままを聞いているつもりだし、「かわいい、かわいい」としていると思っていたけど、彼女の求める愛情表現とは大きく違ったのだと思う。

冒頭のことに気づいたのは、チョージョを叱ったあとににゃちと会話していたとき。出勤しようと車に荷物を詰めているあいだに勝手に車に乗り込み、ドアを勢いよく閉めたのが原因だった。閉め方が独特すぎて手を挟みそうになっていたので「危ないからやめろ」と叱る。

職場近くの駐車場に着いても、チョージョはなかなか泣き止まない。どんどんイライラが募る、「なんで泣いてんの?」と強く聞いてしまった。「ママはどうしてにゃちと…」と泣きじゃくりながら言い出すが中途半端なところで止めた。「(え、まじでなんなん…?)」と思ったところに「蚊に刺されて痛くて涙がでちゃうんだ」と泣き続ける。「絶対違うじゃん!!」と思わず大きな声を出しちゃったけど、そう言わせてるのは私だった。

不甲斐なさで胸がいっぱいになって膝をついて長女に「ママ、ちゃんとお話し聞く。ママ、今どんな気持ちなのかちゃんと聞いてあげなくてごめんね。ママが悪かった。だからちゃんとママ待ってるからお話ししてほしい」というと「ママはにゃちとお話ししてるほうが楽しそうなのが、さみしい」と呟く。「ママはチョージョとお話ししてるのだって楽しいよ。ママがさっき怒ったのはチョージョが大好きだから怒ったんだよ。チョージョが危ないことしてもうおしゃべりできなくなったらママは悲しいし、さみしい。だから、ママは怒ったんだよ。もう怒ってないから、泣かないで」と言うと、若干不服そうではあるが「そっかあ」と言い幼稚園に向かって歩き出した。

その後ろ姿に、きっと今までも私が気づいてなかっただけで、押し殺した気持ちがあったのだなと、ごめんなと思うしかなかった。


人の話しをきちんと聞くってなんでこんな難しいんだ。会話のキャッチボールをしたいだけなのに、なぜか私を潰しにきてると感じてしまうときがある。子どもに対してもそう思ってしまう。「なんで今それ言う?」とか、「なんでそういう言い方になる?」とかね。

仕事では中間管理職となり部下と上司の間をいったりきたり。部下の気持ちに寄り添いたいと思って動いてはいるが、多分部下たちの理想通りの上司ではない。上司にとっても寄り添える部下ではない。人の話しを聞くことで解決できることや、何かしらプラスに動くことっていっぱいあるのだと思う。でも、なぜだかできない。「私の立場をわかってくれよ…」とか「実際そう動くとしたら、こうなるじゃん?なぜわかってくれない?」と思ってしまう。

もう仕事も全部オセロで決めたい。将棋はルールが私には難しいし、じゃんけんはまずグーが出ちゃうから。オセロで決めたい。でも、オセロじゃ人の心に寄り添えないじゃん?なんでこんなにも世の中難しいことばかりなんだろうか。オセロ強い人とオセロで決めることになってしまったら、私のことは一生理解してもらえないのか…。もうジェンガしかないのか。


母との関係性の上で、「私は絶対娘たちにはせんぞ」という点がいくつかある。母が毒親とかそういったことは思ってはないが、私にとっての母の教科書は母しかないので、母が基準になってしまうのは避けられない。インナーチャイルド的なことに繋がるが、私は人に受け入れられることをずっと望んでる。この願望は多分だけど満たされることではないので、自分でコントロールしなきゃないんだと思う。私はきっとその足りてなかった幼少期の何かを埋めることを5歳のチョージョに強いてしまっていたのかもしれない。

たださ、余裕あるときには「絶対しないぞお」というストッパーが働くのだけど、そんな余裕なんて風速5ミリでどっかにゆくよ。どうしたらいいのかわからなくて涙が出る。叱るか叱らないかもジェンガが決めるか、誰とやるのか謎すぎるけど。こういうときってほんとに淋しくなる。幼少期の自分との対峙になっちゃうから。母って難しい。親子って難しい。

寝起き10分、きみたちとまどろむ時間。母はこの上なく幸せなのだよ。伝わってなくてもいいけどな。

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