女の友情が「めんどくさい」理由
女同士の友情を私は世界で1番嫌ってる。と、言いたくなるほど、いろいろな感情を周りの女の子たちに引き出された。
スクールカーストがあるけど、そこから細分化されたようなガールズカーストがあると私は思う。
顔がかわいい、脚が細い、目がぱっちりしてる。
髪の毛がサラサラストレートで、最新の何かを常に持ってる。
そんな女の子はいつだってガールズカーストのトップに君臨するものだ。
その下には、その取り巻きがいて、さらに下には「ぱっとしない子」がいる。
私はそういったカースト制度から離れたところ、テーブルにのったドーナツの周りに落ちてるカスのような、ポジションで生きていこうと決め、そう生きているつもりだった。
もし、自分のポジションを自分で決められたら、どんなに楽だっただろう。
相対的に動くものが「ガールズ」なのだ。
だから、私は「ぱっとしない子」。
最上位とその取り巻きに馬鹿にされ、生きていくしかなかった。
友情というのは、誰かが泣いているときに傍にいて、誰かが笑えば一緒に笑う。
凸と凹が一緒になって平になる関係を指すと、私はずっと思って生きている。
でも、きっと、そうではない。
女子の友人関係は、利潤が一致したときに発動する。
誰かがウザい、あのアイドルが好き。
たかが、そんなくだらないことで、想像を越える団結力を発揮するもの。
でも、これは「くだらないこと」ではないし、「たかが」を使っていいことではないのだ。
そういった、物事に対する熱量が一致すること。
女子の友情を語る上で外せないキーワードは「熱量」なのかもしれない。
女の子はとにかくプライドが高い。そして、非効率が嫌いだ。
人間関係においても、この2つが重視されると、私は思う。
インスタグラムに写真をあげる。1枚で◯◯いいねが付く。
こういったコスパから、合コンに誰を呼ぶか、彼氏との関係をどうブランディングするか。
効率よく物事が回る方法考えるのが得意だ。
誰かがネイルを新調して「かわいいじゃん!」という同意を求めて、誰かに写真を送っても「えーなんでその色なの?」とか、「まあ、かわいいね」という言葉が返ってくる。
相手のテンションをぶち壊して、一回冷静にさせるのが「女友だち」なのだ。
だから、人の彼氏もそう簡単には認めない。
「幸せそうでいいね!」、一呼吸置いて「いや、でもさ…」と評論が始まる。
そして、このやりとりは「正義」なのだ。
でも、そこがいい。
今までの流れを完全に覆すけど、「そこがいい」のだ。
女子は同調力がすごく強い。
悲しんでいる人がいれば、肩を抱いて一緒に泣くことができる。
嬉しいことがあれば長時間の電話やLINEのやりとりに、全力で付き合ってくれる。
喧嘩できる相手とそうでない相手を的確に見極めることができる。
嫌いなときは絶対に会わない。
でも、救いを求められたら、その手をはじき返せないのが「女子」なのである。
中学から大学卒業まで女子校で10年間過ごして、社会に出た。
男の人はすごく優しく包んでくれるものだと知った。
でも、荒波に揉まれたときに救ってくれたのは「女」だった。
生理前のイライラも、男性からのセクハラ発言も、寄り添ってくれるのは彼女たちだ。
だから、「女同士はめんどくさい」それでいいんだ。
男性からみた「めんどくさい」に寄り添ってくれるのは、彼女たちしかいないんだから。
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