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心機一転何かを勉強し始めることの難しさ

自分が個人的に見ている語学ブロガー系の人(他の日常系のこともやってる人)が、「そろそろ英語の勉強もある程度まで来て伸び悩みに直面している」と書いていた。

外国語の勉強をしているとどうしてもこういう状況に直面して、ある程度限界を感じるようになる。

正直って語学というのは常に伸び悩みとかやりがいのなさとの地味な格闘の日々だ。


もちろん年齢にもよるし、仮に英語だとしてTOEICで点数を上げるということ以外の方面でスキルを磨く(例えば英会話など)ことも出来る。スコアを上げる系の勉強法にはいずれ限度が来る運命にある。

年齢につれてある程度キャリアが成熟してここからわざわざ、今までとは違う方向に路線を変更する必要はないみたいなことだ。正直日本で英語や外国語を勉強していても、それまで何かのキャリアがあればそこまで変える必要はなく語学の勉強を続けるのは単に趣味や得点アップという満足度を上げることにしか役に立たないことがある。


労力的にも時間的にもこれ以上続ける意味があるのかという疑問がその時現れる。

そして自分のキャリアの中で別の勉強が必要なのではないかと感じて、数学や歴史などを基礎から学びなおすということを目指す人もいる。


自分個人としては今のところまだ語学の勉強を続け、その種類を増やしていきたいと思っているがそういった転機や「心境の変化」が訪れるかもしれない。

しかし一番に感じるのはやはり道を変えることの敷居の高さだ。

これは語学の勉強に限ったことではなく、例えばゲームも結局惰性である程度慣れた物や積み重ねたものをするように、今までほとんどしたことが無いゲームに切り替えるのは難しい。


今回はそういった路線変更の悩みについて、自分自身心境とこれからの将来の計画について雑談を交えながら語っていきたい。


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