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ヴィクトリア朝時代のバレンタイン

 千年続いたルペルカーリア祭が非キリスト教的だと禁止され、聖バレンティヌスの日に上書きされて以来暫く、バレンタインデーは単なる聖人の日となり、盛り上がる事もなかった。しかし中世も盛期を過ぎた頃から段々と注目を集めだす。フランスでは2月は鳥の繁殖期の始まりとされており、まだ寒さの残る初春には雪解けと共に鳥が求愛をしてる様がよく目についた。

「そう言えば聖バレンティヌスは恋愛や結婚にゆかりのある聖人だな」

 という事でバレンタインデーはルペルカーリア祭の頃より健全な形で男女の結び付きにゆかりある日として再出発する。フランスと文化を共有するイギリスもこの考えを受け入れた。

 禁欲的な中世人によってバレンタインはロマンチックな恋の日と位置付けられ、囚われの貴族がバレンタインの日に奥方を想って詩をしたためたりする。ちなみにこれは15世紀の話で、その詩は残り、世界最古のバレンタインカードとして知られている。

 16世紀には庶民にも定着し、シェイクスピア劇の中でも恋愛にゆかりある日として使われた。もしかしたら逆で、シェイクスピアが使ったから定着したのかもね? 何れにせよ17世紀までには完全にイギリスの伝統として確立された。女性に慎みが強く要求された時代、この日だけは少し大胆になるのが寧ろロマンチック、と言う社会的合意は有り難かった。

 1700年代にはメッセージカードを届ける習慣(密かにドア下に置かれるのが常)が生まれ、熱情に詩才が追いつかない人たちのために例文集がよく売れたりした。もちろんこの頃のメッセージカードは全て手書きだったけど、メッセージだけでは伝わらない細やかな感情を託すため、精緻に小鳥やハート、天使が描かれ、紙に穴を開ける事でレース効果が表現されたりする。その努力を思うと現代人ながら胸が熱くなるから、当代人なら尚のことドキリとしたでしょう。

ヨーク城博物館に保管されている世界最古の印刷されたバレンタインカード。カラー印刷技術はなかったため、着色はハンドペイントであり、レースを表現するため微細な穴が角に開いている。

 18世紀の初めにはバレンタインは花とも関連づけられる。慎みや道徳が男女の間に強く求められる時代、直接的なメッセージを口にするのははしたないとされ、代わって花言葉と共に表立って堂々と話す事が出来ない男女の仲介者として、花が無言のメッセージと共に贈られた。

 ルペルカーリア祭の乱痴気騒ぎから1400年、すっかりロマンチックなイベントとなったバレンタインだけど、社会が豊かになり、識字率が上がると、上流に憧れた庶民に需要が広がる。上流のお嬢さんのように綺麗な字が書ける訳でなし、詩文の教養がある訳でなし、精緻なイラストやレース効果を作れる訳でもない普通の女子は既製品とその組み合わせに頼る。かくしてバレンタインはメッセージカードを嚆矢として商業化した。

19世紀のバレンタインカード。組み合わせ次第で誰でも精緻で美しいカードを送る事ができた。

「全く馬鹿馬鹿しい。どんなに稚拙なものであれ、自作してこそ伝わる想いもあるではないか」

 と批判する人がいるのは今も昔も変わらない。とは言えヴィクトリア期の女性は自分の心のうちを素直に人に打ち明けるのははしたないとされてもいるし、なおのこと既製のメッセージカードに口に出せない想いを託す。

 バレンタインはイギリスの国民的行事となり、1840年には40万枚ものバレンタインカードが郵送される。わずか5年前の7倍近くだった。バレンタインカードの習慣はやがてアメリカに持ち込まれ、バレンタインは完全に商業化の波に乗り、今や全世界を覆い尽くしている。過熱しすぎて、この日は何か贈らねばと強迫観念に晒される方も結構多いとか。

 予算の許す範囲で、好きな人に奉仕しましょ。

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