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刑罰廃止論草稿第2版 第2部 被害者感情は刑罰の根拠とならない

§ 8 刑罰とは何か

刑罰の定義。ここで刑罰とは「社会規範に反いた構成員に対して強制される負の制裁」といった形で定義することにする。そもそも規範とは何か、社会とは何か、負の制裁とは何か、など、多々問題含みではあるが、本稿は草稿であるから、そのような問題は後々取り組むことにしよう。というのも、単語を単語の組み合わせによって定義することは最終的に無限後退に陥るのであるから、これを序の口で行なってしまえば文字通り先に進まないためである。

§ 9「被害者感情」は刑罰の根拠とならない

「被害者感情」は刑罰の根拠とならないことの証明。

被害者の感情を慰める仕方は犯人の刑罰以外にもありうる。たとえば脳を改造して怒りや悲しみの感情を制御するなど。

証明終わり。

また、仮に被害者感情を刑罰の根拠とするならば、たとえば死刑とは親しい者を殺された苦痛を殺す快楽で上塗りすることであり、他者に苦痛を与え喜ぶという点では刑罰とはいじめと変わらないことになる。というのも、被害者感情を鎮める手段としてならば赤の他人をスケープゴートにすることでも代用できるのであるから。


Image by Stefan Schweihofer from Pixabay

§ 10 旧派反駁

刑法学旧派とは、人間には犯罪をしないという自由意志があるのだから、それに従わなかった場合は罰せられるという説である。つまり、自由意志を否定すれば刑罰論における旧派の拠り所が消滅する。

§ 11「決定論」を主張したいわけではない

自由意志の対義語は「決定論」であるとされがちであるが、ここで私は決定論を主張することで自由意志を反駁したいわけではない。決定論とは、ここでは簡潔に、人間の自由意志によって未来を変えることはできないという説だとする。Max Weberの作品で有名なカルヴァン派の予定説とだいたい同じものを想定している。

私は決定論、あるいは予定説を擁護し主張しているわけではないことを示すために、まずこれを反駁する。

§ 12 決定論の成否についての証明

背理法による証明。

決定論が正しいと存在する。

決定された未来の情報、すなわち「予言」を知り得る場合と知り得ない場合に分ける。

予言を知り得る場合、人はそれを避けることができるし、少なくともできる場合がある。たとえば、目の前に黒いカードと赤いカードがあり、「あなたはここで黒いカードを取ることになっている」という予言を告げられれば、容易に赤いカードを取ることで予言成就を失敗させることができる。

「細かいことはわからないがYYYY年MM月DD日が君の命日だ」と言われた場合、デスノートのように、どのような対策を取っても免れないことは想定できるかもしれない。あるいは、天体や気象、地殻変動など、自然現象に関わる予言の場合。

まず、自然現象の場合は人間の自由意志に関わりがない。

次に命日など抽象的な予言の場合。これも、そもそも人は「生きよう」という自由意志によって死を免れることなどできないのだから、「自由意志」の概念から外れている。

以上で、予言が知り得る場合、人間の選択に関わらない「自然学的決定論」はあり得るものの、人間の選択に直接的に関わる「倫理学的決定論」はあり得ないことがわかった。

自然学的決定論は、たとえば、$F = ma$ などの方程式で記述できる。なぜだか私はここで自然法則に基づく科学を傍証できたことになる (これはカントに沿っているのだろうか? 詳しくないためわからない)。

さて、予言が知り得ない場合を考えよう。この場合、たとえ未来が決定されていたとしても仮定より知り得ないのだから本当に決定されているか検証が不可能になる。ゆえに、知り得ない予言は不可能である。

証明終わり。


第1版 2022-10-20
第2版 2022-10-29


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