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刑罰廃止論草稿第2版 第4部 刑罰なき社会

最終定理: 誰も罰することはできない

誰も罰することはできないことの証明。

ここで、以前に「受動知性としての世界」を考えたことを想起せよ。あるいは「もしこれは夢だったならば」と考えてもよい。

もしこれが夢だったならば、現実とは幻にすぎないとしたら、他者は存在しない、いや、厳密に言えば「内界」にしか存在しない現象にすぎないのだから、他者を罪に問うとは自分の受動知性を罪に問うことになる。

しかし、無実な個体である自我がその現象するすべての責任を負うというのは責任概念より不合理であるから (ちなみに仏教の因果応報はこの不合理を唱えているのだが)、現象や受動知性としての形相を罪に問うことはできない。

他者とは現象あるいは、同じことであるが、受動知性にある形相にすぎないのであったから、罪に問うことはできない。


Image by Gerd Altmann from Pixabay

賠償廃止論

図式化すれば、刑法における制裁は犯人に苦痛を与えることであり、民法における制裁は被害者に責任者が賠償することである。災害で家族を奪われても地球を裁くことができないように、人間に対する刑事的制裁も不可能であることはすでに証明した。

災害で財産等が壊されても地球を相手に弁償を要求することはできないことから、刑罰廃止論と同様の論理を用いることができる。

ゆえに、刑罰だけではなく民事的な賠償についても類推的に廃止することになる。

歓喜の国

これまで人類は根本的な見落としをしてきた。罰は必要ない。罰のない、歓喜の国、愛の国、喜びの国を作ろうではないか。地上に作れないとしても、イデア界に作ろうではないか。

今や犯罪はすべて災害であることが明らかになったのだから、犯罪と呼ばれてきた災害 (便宜上、犯罪という言葉を使う) を防ぐために刑罰以外の対策が必要である。

代表的な犯罪として、殺しと盗みがある。これを必然的に消滅させるためには、人間の不死を実現することと無尽蔵の資源を確保することが必要である。

刑罰なき社会について

刑罰を廃止した社会において「天災」を防ぐための最も単純な方法は不老不死と無限大の資源を実現することであることはすでに述べた。

しかし、不老不死と無限大の資源を実現することは少なくとも予測可能な将来においては不可能であろうから、代案が必要となる。

自然災害を防ぐためには、それぞれの災害に応じた多様な対策が必要になるが、今後の科学技術の発展に期待すべきものもあれば、すでに実現されている対策もある。ここで、地震や台風など地球に原因のある災害や、疫病や蝗害など人間以外の生物に原因のある災害を「自然災害」と呼ぶ (ところで、ゾンビウイルスにかかった人間が他者を殺したら、それは人為的犯罪なのか、自然災害なのか、どちらなのだろう。犯罪概念はここでも綻びを見せる)。すでに実現されている対策は諸君も知っての通り、ウイルス感染を防ぐために手を洗うとか、耐震工事を実施するとか、そのような類のものであり、科学の発展に期待すべきSF的な方法としては、なんらかの方法で地震を「予防」することなどである。

次に、伝統的に犯罪と呼ばれてきた災害カテゴリーの対策である。当然のことながら、この議論において刑罰による威嚇を採用することはできない。


第1版 2022-10-21
第2版 2022-10-29


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