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哲学的断片集 4: なぜ別様にあるのではなくこのようにあるのか

未完です.


なぜ別様にあるのではなくこのようにあるのか

宇宙には光速、すなわち約 30万km/s より速いものはないのだという. しかし, 人間は光より速く動くものを想像できる. 60万km/s で動く物体という観念は容易に理解可能なのに, なぜ実際には約 30万km/s しか出ないのか? なぜ世界は別様にあるのではなくこのようにあるのか?

「論理的には人の死ななければならない必然性はないのに, 自然的には必然的に死ぬということ, この矛盾が苦の原因である」という件については『なぜ老と死は苦なのか』にも書いた.

なぜ世界は別様でありうるのか

なぜ世界は別様でありうるのか? ペガススをはじめとして, 存在しないものの多くは想像可能である. 「ペガススは存在しない」というのは存在否定言明の有名な例であるが, 「ペガススは存在しうる」というのは真であろう. なぜか? それはここに矛盾がないからである. 矛盾のない命題は理解可能であり, 矛盾のある命題は理解不能である.

ゆえに, 以前『なぜ老と死は苦なのか』でも書いたように, 欲望にも限度がある. すなわち, 「内角の和が 180º ではない平面上の三角形が欲しい」という煩悩は生まれえない. というのも, この命題では何が欲しいのかわからないのであるから. したがって, 欲望に際限はないという仏教的思想は明白に誤っている.

世界は別様でありうるが, それは命題が矛盾しない限りである.

2022年に179冊読んだ私が選ぶ今年の10冊 (ネタバレありアフィなし)』には,

カントふうにまとめると、「運命論が正しいか間違ってるかは超越的だから理性にはわからないが、【運命論はいかにして可能か】という超越論的問題ならわかる。すなわち、人間の認識においては、現に目の前にある現象 (入不二の言葉では「絶対現実」) だけではなく、様相カテゴリーを適用して、別様でもありえるという発想が可能になる (この段階が入不二の「相対現実」に対応)。」ということではなかろうか。もちろん入不二はカントの言葉なんて一度も使っていないし、私のカント理解もかなりテキトーかもしれないが。

2022年に179冊読んだ私が選ぶ今年の10冊 (ネタバレありアフィなし)

と書いた.

[2023-04-02 追記] 普遍/個物、タイプ/トークンなどの区別を使えて初めて「今ここにこれこれの現象がある」ということを言うことができる.——

Image by Pawel Grzegorz from Pixabay

なぜ世界はこのようにあるのか

なぜ世界はこのようにあるのか? まず感性的・経験主義的に言えば, 感覚与件を根拠として世界はこのようにあると判断している. しかしそれは「赤く見えるからこのリンゴは赤いのだ」と言うのと同じで, 結局何も言っていないに等しいのではないか?

大森荘蔵的な例として, 「メガネに赤いセロハンを貼っているから赤く見える」という場合はどうであろうか.

目の前にリンゴがあることを証明できるか? 倫理的直観は目の前のリンゴのようなものである.

科学的な仕方で「なぜ世界はこのようにあるのか」という質問に答える場合はどうなるか. 私は歴史学や文化人類学等を実証科学だと考えているが, たとえば歴史学の場合は過去の出来事に原因を見出すはずである. たとえば「なぜ現在のフランス王は存在しないのか (※ 1)」という問題に歴史学者が答えるなら, フランス革命から第3共和政までの経緯を説明するはずである. 社会学者ならば社会調査をして現在のフランス社会が共和政を好んでいることを証明するかもしれない.

※ 1: 私は “The present King of France is bald” を「現在のフランス王はハゲだ」と訳すのは誤訳だと思う. Bertrand Russellという人は冠詞 “the” に2章を費やしたことで有名なのだから, 冠詞の指示機能が記述理論のキモなのであって, 「あの現在のフランス王はハゲだ」とか「例の現在のフランス王はハゲだ」にしないと絶対にダメだろう. しかし, 「なぜ現在のフランス王は存在しないのか」の場合はたぶん英訳すれば無冠詞になると思う.

自然科学の場合は現実がなんらかの法則に適合していることを示して「なぜこのようにあるのか」を説明する.

「帰納法・自然の斉一性の問題」と「可能世界を貫く指示の問題」

Mastodon 2023-03-29 🐘 帰納法・自然の斉一性の問題と, 可能世界を貫く指示の問題って似ているよね. つまり「明日から銅の炎色が青緑から赤に変わるかもしれないとして, しかしそれは果たして同じ銅と呼べるのか」という問題と「大統領にならなかったニクソンはニクソンと呼べるのか」という問題.

分析判断においては帰納法と自然の斉一性の問題は生まれえない. 「三角形とは角が3つある図形である」という定義は 「昨日まではそうだったかもしれないが, 明日目が覚めたら変わってしまうのではないか」という杞憂とは無縁である. もちろん言語実践が変わる可能性はあるが.

「三角形とは角が3つある図形である」という命題は分析判断だとする. 「三角形の内角の和は 180º である」という命題は分析判断なのか? 総合判断かもしれない. しかしこちらも永久不変であるように感じる.

Mastodon 2023-03-29 🐘 Bill Clinton が大統領にならなかった可能世界でも Bill Clinton という名称は Bill Clinton を指示できるらしい. でもたとえば何かの超常現象で Bill Clinton と Hillary Clinton の心と体が入れ替わったとしたら, どっちが Bill なの? 心のほう? でも Bill の人柄が変わったら Bill じゃなくなるの?

Mastodon 2023-03-29 🐘 Bill Clinton は Bill Clinton と名のつく人物を指す. その根拠はあるヒト個体が Bill Clinton と命名されたという歴史学的事実である. 時間と空間に限界づけられた自然科学の命題のみが語りうる. 語りえないことには沈黙しなくてはならない. 哲学をしてはならない.

科学はわりと普遍的だと思うが, 倫理学は普遍的なのだろうか? つまり, 倫理とは「他の仕方でもありえること」にすぎないのだろうか?

Mastodon 2023-03-21 🐘 普通の科学の場合, まず事実があって, そこからそれを説明する理論を組み立てるはず; アリストテレスが『天界について』で, 地球の丸さを月食の形に求めたように. 規範倫理学の場合, 最初から明らかな道徳はない. 倫理的直観ならあると言われるかもしれないがそれを説明したら記述倫理学になってしまう

書きはじめたときには書けそうと思ったが, 難しくて書けなかった.


2023-04-01 執筆
2023-04-02 追記

BGM: ちゃんみな「東京女子」

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