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哲学思想日記 2023-W26 — 哲学とは人間の自ら招いた困惑からの脱却である

2023-06-26/07-02


哲学

問題が解決したとき, なぜ解決したとわかるのか ?

分析哲学の哲学観 (の変遷) が気になる. 黎明期, 論理実証主義は反形而上学だったろうけど, Putnam とか Kripke とかは楽しそうに形而上学をやっていたように見えるので.

哲学的真理がいつかバレてしまうものだとして, どういうバレ方なのだろう. 隠されていないはずなのに.

Edward Said 等は知の権力性を批判したが, “知という権力への意志 !” を唱える Nietzsche 主義者がいてもいいのでは ?

L. Wittgenstein は『Philosophische Untersuchungen』で “人間は魂の最良の像である” と言ったが, むしろ “他者は私の最良の像である” と言った方が面白かったのでは ?

哲学とは何か ? 哲学とは人間の自ら招いた困惑からの脱却である.
(※ Kant の『啓蒙とは何か』冒頭「啓蒙とは人間の自ら招いた幼さからの脱却」のパロディ. 最近後期 Wittgenstein を読んでいるのでその哲学観に近い心境を詠んでみました)

Descartes–Husserl 的に世界の実在を括弧に入れる発想を「エポケーの哲学」と呼ぶなら, Wittgensteinの独自性とは〈私〉をまさしく括弧に入れる「逆エポケーの哲学」なのだと思う. ただし前期の『論考』はまだ逆ではないいわば「順エポケー」「正エポケー 」が基調だけれど語りえなさの話から逆エポケーが発展していく.

倫理

中絶とか安楽死とかの問題において, 普通の人は倫理的回答を求めてなんかいない. Pro-choise は選択の自由による自己の幸福を求めているのであり, pro-life は宗教的規範による他者の完全性を求めている. この両者を合わせれば少なくとも9割にはなるだろう.

道徳を理解するためにはすでに道徳を体得している必要があること, これが神の恩寵なのではあるまいか ?

どうすれば道徳的に振る舞えるのかわからないことは道徳のアポステリオリ化に起因するのではないか ? しかしアプリオリな道徳というのもよくよく考えてみるとそんなもの実在するのかだんだんわからなくなってくるけれども.

『〈子ども〉のための哲学』162頁にある, 親が子どもに「もっと欲を出せ」と説教する事例は感動的だ. 情緒的な表現になるが, この親は, たとえ道徳的に悪くてもそれでも子どもに幸福になってほしいという人間愛からの真実を語っているように感じる.

Image by hartono subagio from Pixabay

美学

J. S. Bach のあとに J. F. Handel を聴くと後者の “人間臭さ”, “汗臭さ” がよくわかる. というより Bach に人間味がなさすぎ. そして私は人間味のない方が断然好き.

L. Wittgenstein による美学の話って日本語版全集だとほぼ第10巻の講義ノートにしかまとまっていないんだけど, 美学の理解って難しいな. たしかに体感的にはわかるし, 倫理学, 特に徳倫理学が何をしているのか一番よくわかる説明ではあるのだけれど, 厳密には心理学 (質的研究および量的研究) とどう切り離せるのという問題とか. 結局後期の L. W. は『倫理学講話』の思想も捨てたんですかね ?

性愛

私はなぜかときどき腹痛時に勃起する体質なので, 勃起という徴候と性的興奮それ自体の区別はしやすい. ベン図で謂う勃起場面の外延と性的興奮場面の外延がズレてるから. つまり「泣くから悲しい」という文が逆説的なのと同様に「勃起するから性的に興奮する」という文も逆説的であるということ.

原理主義者の言う通り姦淫をすれば地獄に落ちるとして, しかし淫らなセックスが幸福であると仮定するなら, 地獄に幸福があるのも天国に淫らな快楽があるのも矛盾なので, 地上にしかないことになる. それは本当は幸福ではないのだという Σωκράτης 的論法も快楽という絶対確実明証な現象に勝てるか?

人生

“紀元前5世紀末” などと言われると10秒くらい計算が必要になる.

先日禁酒1周年を迎えた. みなさんも禁酒しましょう. F. Nietzsche もアル中は嫌いだったので.

色々あり, もう何もかもどうでもいいという気分になってしまっている. 私が今このような気分であるという情報こそどうでもいい話でしょうが.

最近ふと気づいたのだが, 私って頭がおかしいのかもしれない. 形容しがたいが, 何か他の人は持っている “自我”, “人格” のようなものを私は持っていない気がする. 記憶によれば昔は持っていた可能性もあるが曖昧. たまに睡眠中も夢で哲学書読んだり哲学論議をしたりしてるし, 壊れたのかも.

6月19日に倫理学の謎がすべて解けてしまう “悟り” のようなものを得てしまったので今後倫理の領域ですべきことがなくなり困っている. しかも単に L. Wittgenstein (および F. Nietzsche) の言っていることが体得できただけなので, そこに私の新規性・独創性はまったくない.


2023-07-14
BGM: POLY, “ZOOM”


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