ウイグル自治区で公安警察から「重点旅客」に認定され熱烈歓迎をうけてしまった話
これまでのあらすじ
ある日突然Twitterで知らない人から誘われて、なぜかウイグル旅行に行くことになった限界社畜OL・砂漠。しかし、空港に現れたのは、社会主義旅行を通じて人を社会生活からドロップアウトさせる謎の秘密結社「うどん部」だった。空中浮遊が特技の中国オタク・尊師、小柄でツインテール姿のちょっぴりエッチな美少女・レーニン。そんな怪しすぎる仲間たちとの珍道中に、中国公安の魔の手が迫っていて……!?
公安から謎の「重点旅客」認定を受ける
寝台列車を待つ人々でにぎわう駅のかたすみで、私は虚空を見つめていた。ここは「重点旅客」待合室。突然、公安に声をかけられ、ここに連行されたのだ。出入り口では、警備員がにらみを効かせている。
「どうしてこんなことになってしまったのだろう……」
私は、ネットに出回るウイグルに関する噂話の数々を思い出し、自分の表情が曇るのを感じた。
新疆ウイグル自治区は、ムスリムの少数民族が多く住むエリアであり、宗教運動や民族運動の高まりを恐れる中国当局により、かなりの厳戒体制が敷かれている。もっとも、ウイグル現地の状況について正確な情報を知ることは難しい。当局の取材制限により、十分な裏付けのある情報の入手が困難となっているからだ。
旅行前、私はウイグル情勢について調べては、情報の渦に翻弄され、むやみに不安をつのらせるという非生産的な行動を繰り返していた。マンガ「ほんとにあった怖い話」シリーズを100倍異常にしたような真偽不明の情報をうっかり熟読し、眠れなくなったこともある。
ネットの噂話には、いかにも怪しい話も多かったが、中国側が情報統制しているため検証のしようがない。当時中国への渡航経験がなく、情報の真贋を吟味するための経験値を持たなかった私は、無駄に不安をため込むばかりだった。
そうして、漠然とした不安を抱えながら迎えた旅の初日。街の第一印象は「冷戦時代のSF」だった。ライフルで武装した警察。砂漠の街にそびえ立つ摩天楼。張り巡らされた監視カメラと顔認証システム。ハイウェイに掲げられた無数のプロパガンダ。
私は、ウイグルの街からただようただならぬ雰囲気に圧倒され、ひるみ、萎縮した。なにしろ、足裏マッサージ店にまで金属探知機がおいてあるような街なのだ。カメラを出すたび身がこわばり、その結果ほとんどの写真が手ブレしていた。目をつけられたくない一心で、公安がいそうな場所ではひたすら存在感を消すことに注力した。
公安に声をかけられたのは、そんな旅の最中のことだった。
圧政国家経験が高すぎる男からの心温まるアドバイス
待合室で過剰に深刻な表情を浮かべる私に、今回の旅行メンバーのひとりである訪朝団同志が声をかけた。
同志「こういうことはよくあるので気にしないでください。これからスマホの画像検査がありますけど、軍事関係を撮影してなければ大丈夫です」
彼は、過去に30人規模の北朝鮮観光ツアーを敢行したことがあるという、どうかしてる武勇伝をもつ男だ。
同志の第一印象は「危ない紳士」だった。危ないというのは、旅の初日に、「北京空港におかれている電話ボックス型の一人用カラオケボックスで革命歌を熱唱し、道行く人々の注目を集める」という、私の価値観に照らすとかなり破天荒な行動に打って出ていたことから生じた印象だ。私にとっては、空港に一人用カラオケボックスがあること自体が十分なカルチャーショックだったので、そのカラオケを自然体でエンジョイする同志には、尋常ならざるものを感じていた。
ところが、実際に旅が始まると、同志は、紳士的な雰囲気に相応しく、極めて常識的な人物であることがわかった。また、旅のトラブルへの高度な対処能力を持ち、旅程管理から公安対応まで八面六臂の活躍をみせていた。圧政国家観光の確かな経験値と、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳を併せ持つ稀有な危険人物である彼の存在は、トラブル続きのこの旅に、確かな安心感をもたらしていた。
というか、もしかしたらやたらと不安がっているのは私だけなのかもしれない。みんな普段どおりにくつろいでいるし、レーニン(美少女)に至っては、そのへんで買った豚骨だか豚皮だかをむしゃむしゃ食べている。私は、すぐに動揺してしまう自分がすこし恥ずかしくなった。
重点旅客として丁重に警戒をされる一行
重点旅客認定を受けると、当局の対応が「警戒はするがあくまでも丁重に扱う」というスタンスになる。その結果、私たちの待遇は、無駄にVIPっぽくなっていた。
まず「重点旅客」待合室とは、怪しい観光客を隔離するために作られた場所ではなかった。そこは、日本でいうところの優先席だった。でも、そこには老人も病人も座っていない。なぜなら、私たちが隔離されているからだ。公安にマークされた結果、護衛付きで混雑する駅構内の中で広いスペースを占有する要人みたいになってしまっている。
また、列車の乗車時もなぜか優先搭乗するように言われた。改札はまだ開いていなかったが、順番待ちをする人々の長蛇の列を追い抜いて、準備中の列車の中に入り、丁寧に座席まで案内された。ここまでされると、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
意識が高すぎる刑事からの唐突な熱烈歓迎
更に驚くことには、列車到着後に現地の刑事からの出迎えまであった。
刑事は、青い目をしたウイグル人で、流暢な英語を話し、いかにもエリート然とした、意識の高い雰囲気を漂わせている。颯爽とした身のこなしとアメリカナイズされた口調は、まるでハリウッド映画のようだ。
彼は、口調から「旅行者をマークしたいが、中国が監視社会だという印象は持たれたくない」というアンビバレントな思いを滲ませながら職務質問をはじめた。
刑事 「どうしてこんな場所に来たんだ? 本当に観光のためだけ?」
我々 「シルクロードの歴史に興味があるので来ました」
刑事 「でも、そんなのはずっと昔の歴史じゃないか」
刑事 「歴史なんて、ネットでググれば出てくるだろう。私なら別のところに行くね」
刑事は、歴史ロマンを理解しない唯物論者だったが、それゆえに合理的な人物でもあった。一通り質問を終えて、私たちが捜査に値しない人間だと判断すると、こういって立ち去った。
刑事 「驚かせてしまって申し訳ない。ただ、安全に旅をしてほしいだけなんだ。ここは日本とは違う。貧しいゆえに犯罪に走る人もいる。危険なのでよく注意して。それでは、よい旅を!」
全ての旅行者に対してここまでの対応をしているのだろうか。そうだとすれば、とんでもない労力だ。
それとも、私たちが怪しまれているだけなのだろうか。確かに、私たちのグループは、尊師・レーニン・訪朝団同志を擁している時点で「不審である」という点においてはなにひとつ弁明しようがない。
でも、ここまでしなければいけないほどの不審さだろうか? 私は、狐につままれたような気分になった。
気が狂いそうなほど美しく、ありえないほど公安だらけの街
カシュガルの地を踏んだ瞬間に刑事から危険都市宣言を受けるというある意味ドラマティックな旅の始まりだったが、街に出ると、それこそ驚きの連続だった。全てがあまりにも美しかったからだ。
今回私たちが訪れたカシュガルは中国最西端の街だ。中央アジアと中国を結ぶシルクロードのオアシス都市として古くから栄えたといわれる。人口の8割を中央アジア系の民族が占め、街並みもぐっと中央アジア風になる。
ロバが緩慢に歩くのどかな街道。商店に並ぶナンの繊細な飾り模様。軒先でチャイを飲み、長い長い時間を過ごす老人たち。各家庭で飼われているインコやオウムたちの賑やかなさえずり……。「千年前から変わらない風景」と言われても、思わず信じてしまいそうな景色だった。
街道沿いに植えられたザクロの木には深い紅色の果実がみのり、その周りをマリーゴールドが鮮やかに彩っている。中央アジア風の装飾が美しいバザールには、色鮮やかなスパイスが並ぶ。
街並みの多くは修復だというが、積み上げてきた文化の蓄積がなければ、再建も修復もできない。イスラム教の指導者が祀られているという霊廟の細やかなタイル模様。咲き乱れるバラの花。全てが美しい。
そして、私がむやみやたらに恐れていた公安による監視体制は、カシュガルの街中ではだいぶ投げやりな感じになっていた。当局の考える理想に現実が追いついておらず、実際の運用との間にギャップがあるのだ。
公安の数だけはハチャメチャに多いけれど、警備員による荷物検査は形骸化し、地元の人々は一瞬の確認だけでさっさと通り過ぎていた。私が、一応かばんをしっかり開いて見せようとしたら、逆に変な目でみられてしまった。X線検査機に至っては、やみくもに終末感を漂わせる不気味なオブジェになってしまっている。
私「みんなやる気ないですね。刑事の意識の高い出迎えは何だったのか…」
同志「こう中途半端にされると、真面目にやれと言いたくなりますね!」
なぜか憤慨している日朝友好親善同志を尻目に、私はカメラのシャッターを切りまくった。どこを見回しても公安だらけのこの街で、ようやく真面目にカメラを構えようという気持ちになっていた。
もう二度と来ないかもしれないのに、勝手に怖がって勝手に萎縮して、写真もまともに撮らないなんてバカみたいだ。街はこんなに美しいのに。
ホテルにも驚いた。一泊1500円(朝食付き)とのことで、殺風景なビジネスホテルを想像して中に入ると、まるでそこは没落貴族の館だった。可憐なパステルカラーで彩られたロココ調の装飾を基調に、ところどころ植物文様をはじめとしたイスラム建築風のディテールが組み合わされている。
「ここは、旧ロシア領事館を利用したホテルなんですよ」
「帝政ロシア時代の建築には、こうしたパステル調の内装が多いんです」
旧ソ連圏に関する仕事をしている同行者がそう解説した。
「旧ロシア領事館に1500円で泊まれるのか……」
私は、これまで宿泊してきた部屋の内装と価格を思い出し、物価の概念がよくわからなくなった。客室にも、壁や天井に細やかな装飾が施されていて、文化財に泊まっているような気持ちになる。
よく見ると、ところどころが綻び、調度品も壊れている。メンテナンス不足によりやや廃墟感が漂っているエリアもあるが、貴族の落日という感じでそれも含めてロマンチックだった。
意識の高い刑事との感動の再会
旅に慣れて慢心し、わざわざ出迎えに着た刑事の意識の高さを小馬鹿にしはじめた私だったが、結論から言うと、刑事の忠告は完全に正しかった。バスの中で同行者の女性がスリに遭い、財布から人民元がすっかり抜き取られてしまったのだ。こういうとき頼りになる訪朝団同志と一緒に交番に行った彼女から聞いた、その後の顛末はこうだ。
◇
事件を担当したのは、朝に駅で出迎えに来た意識の高い刑事だった。実は外事課のエリートだという彼は、相変わらず流暢な英語を話し、中国の田舎町に似つかわしくないグローバルなオーラを漂わせている。
刑事は、説教にちょいちょい自慢話をサンドするという意識の高い話法を駆使して、事情聴取を始めた。
刑事「そもそも、君は中国語もろくに話せないのに、なぜ中国に旅行しにきたんだ。私は、ウイグル語と中国語の他に、英語とウルドゥー語も話せるんだぞ」
刑事「盗まれたのは1500元(当時約23000円)か。君の給料はいくら?」
刑事「もし私が君の立場なら諦めるね。私もつい最近30万円のダイヤの指輪をなくしたが、潔く諦めたよ」
刑事「よし、捜査をはじめよう。まずは、監視カメラの確認からだ」
捜査は、被害者女性が刑事と一緒に延々と映像を見続け自分たちの写っている姿を探すという、非常にアナログかつストロングスタイルなものだった。映像が見つかるまでに数時間を要したという。
画像:ウイグル語で書かれた調書
◇
被害者女性が監視カメラの確認に苦しめられている間、その背後でひっそりと悲惨な目に遭っていた男がいた。尊師だ。彼は、空中浮遊が特技の中国オタクで「あだ名や言動が不謹慎」「非常におしゃべりで、一人で5、6人相当の騒がしさ」というハタ迷惑な特徴を持つ(詳しくはこちら)。
尊師「本当に辛かった…。刑事に英語も中国語もわからない奴は邪魔だから出ていけって言われて追い出されて…。何時間もクソ暑い外で待たされて…」
実は、尊師も警察署に同行していた。そして、尊師は中国語が話せる。というか、中国語が話せるから被害者女性に同行することになったのだ。尊師は、盗難に遭い落ち込んでいる被害者女性を助けるため、騎士道精神を発揮し、かなり張り切って警察署に同行していた。にもかかわらず、意識の高い刑事は、無慈悲にも尊師の語学力を全否定し、警察署から追放したのだった。刑事は、4カ国語を操るエリートだけあって、語学に関する基準がやたらと厳しいのだ。
しょんぼりと落ち込む尊師を前に、私たちは励まそうと必死になった。
尊師「刑事に中国語できないって言われた…」
私達「大丈夫、尊師は中国語下手じゃないよ」
私達「多分、尊師を警察署に入れたくなかっただけだと思うよ」
尊師「それって、おれが不審ってこと??」
「でも、善良であたたかな心をもった不審者だから…」
私は、そう言いたくなった。けれど、なんのフォローにもなっていない気がしたので、言わなかった。
画像:「宗教極端思想はやめよう」という趣旨の啓発ポスター。
尊師には極端思想の嫌疑がかけられていたのでは?
◇
後日談だが、犯人は三日後あっけなくみつかった。意識の高い刑事が、徹夜で監視カメラを確認し、目撃証言を集めるという有能ぶりを発揮したからだ。
刑事の情熱は凄まじく、犯人が見つかったことを私達に伝えるときも、なぜか「街中のホテルに電話をかけて私たちの宿泊先をつきとめ、ホテルの前で何時間も待ち伏せする」という熱量が高すぎる方法をとってきた。事前に連絡先を聞けばいいのに、刑事は待ち伏せが好きなのだろうか。
そういえば、中国の監視カメラは顔認証システムが発達していて、人の移動が簡単に捕捉できるようになっているという噂を聞いたことがある。好奇心からそのことについて尋ねると、長時間の待ち伏せで疲れ果てていた刑事に怒られてしまった。
「そんな便利なAIシステムなんてない!私は寝ないでずっと、監視カメラを確認し続けたんだぞ。警察官はそういう仕事なんだ。関連する映像も全部確認して……。本当に本当に大変だった」
実際、システム化されている部分があっても言わないと思うので、それが本当かどうかはわからない。ただ、刑事の疲労困憊ぶりから察するに、捜査が凄まじく大変だったというのは本当のようだった。
それにしても、刑事はどうしてあんなに張り切っているのだろう。刑事のやる気は、いったいどこから湧いてきているのだろう。他の誰も真面目に働いていないのに、嫌にならないのだろうか。
◇
警察署を出ると、いつものカシュガルの街が広がっていた。街を警備する公安は、相変わらずやる気なさそうにあくびをしている。いつもどおりののどかな街だった。
ところが、しばらくすると、あたりが突然慌ただしくなり、交通規制がされはじめた。何が起きているのかわからず、おろおろしていると、突如勇ましい音楽が鳴り響き、凄まじい量の戦車や装甲車が道を走り始めた。突然、軍事パレードが始まったのだ。
「やっぱり、冷戦時代のSFみたいだ……」
エキゾチックで古典的な街並みと、いかめしい軍用車が同居する街のコントラストは、私に「この街を簡単に分かった気になるな」と告げているようだった。
良い人間は天国に行けて、そうでない人はどこにでも行く
旅を肯定する言葉として「行かなければわからない」というものがある。私は、この言葉を漫然と「行けば何かがわかる」という意味にとらえていた。けれど、それは論理としても事実としても間違っていた。
私は、ウイグルの街を巡るほどに、いろいろなことがどんどんわからなくなっていった。
例えば、少数民族の迫害があるといわれる街で、整備された街並みのエキゾチックさに感激するのは不謹慎じゃないのか。祈りの場所としての機能を明らかに失ったモスクの装飾性にみとれるのは感受性が死んでないか。ウイグル人のアイデンティティに勝手な前提をおいて「"中国"じゃないみたい」「"中国人"にぜんぜんみえない」というのは無神経ではないか。中国政府の方針にしたがって公安業務にあたるウイグル人は「屈辱的な存在」なのか。
無数の問いが喚起され、にもかかわらず答えはなにもわからない。答えがわからないと不安になるのは、目の前にある状況に対して、どのような態度を取るのが「正しくて」「常識的で」「許される」のかわからないからだ。良識的でありたい自分と思う自分の心が、わからないことに紋切り型の正誤をつけて、むりやりの判断をしようとする。でも、そうした態度のどこが「良識的」なのだろう。
だから、良識的な大人は、わけのわからない場所にはそもそも行かない。
そして、私はずっと、良識的な大人になりたかった。
画像:中国国旗がヤケクソ気味に乱舞している旧市街の一角
善良であたたかな心をもった不審者との旅の終わり
最終日の朝に散策した旧市街の街は眩しかった。砂漠特有の鋭い光が街全体に乱反射している。老人も柘榴もナンも、すべてが白い光にまみれてきらきらしていた。
バザールには、金木犀、菊花、バラ、ジャスミンと無数の花茶が並んでいて、ガラスビンの蓋を開けて顔を近づけると、むせ返るような芳香がした。にぎやかな原色のストールがひらひらと揺れて、そこから透ける光が地面に複雑な影を落としていた。
◇
尊師・レーニン・訪朝団同志と過ごす日々は、終わりに近づきつつあった。彼らはもともと、旅程の途中で先に帰国することになっていたのだ。 私は、次第に、このメンバーで旅行をすることに居心地のよさを感じつつあった。最初のころは、メンバーの不穏さと騒がしさに強い衝撃を受けたけれど、帰ってしまうと思うと少しさびしい。
土産物屋で、尊師が私に話しかけてきた。尊師は、両手いっぱいにお土産をかかえている。
尊師「ねえねえ、女性向けのお土産って、どういうのがいいかなあ。知り合いに渡そうと思ってるんだけど、好みがわからなくて」
尊師がおともだちにお土産を……!!
私は、おせっかいな叔母さんのような気持ちになり、張り切って尊師が抱えているお土産を見つめた。ところが、お土産を見ると、私が今までの人生でつちかってきた常識のコレクションたちが、全力で警戒警報をかき鳴らしはじめた。
――形の残るものは避ける、包装されていない食べ物は避ける、好みが分かれる味わいのものは避ける……。
尊師のセレクトに問題があるというより、このバザールで売られている商品が、一般的な日本人女性の感性とかけはなれすぎているのだ。
でも、私は結局、おせっかいをするのを止めた。おそらく、尊師の周りには、もらったお土産に減点法でケチをつけるような「良識的な」輩は存在しないのだろう。仮にいても、尊師がそういう人に認められる必要なんて、特にないのだ。
画像:カシュガルでは北九州市指定ゴミ袋があらゆる場所で使われており、
バザールで商品を買ったときも、ゴミ袋に入れて渡してくれる。
◇
私は良識的な大人になりたかった。そうすると、仕事も得られ、親や周りの人からも喜ばれ、いろいろなことがうまくいくからだ。少なくとも、人に嫌われたり、困惑されたりすることは減る。
私は、家族のことも友達のことも好きだった。職場の同僚や上司も、全面的にではないにせよ尊敬していたし好きだった。好きな人達に喜ばれることは、私にとって重要なことだった。
他方で、私が「良識的」だと思っているものは、実際には単なる処世術で、日常の中にあらわれるささやかな異質さを、絶えず拒絶し、見なかったことにしなければ、あるいは好奇心に背を向けて自分の感情に蓋をしなければ成り立たなかった。
そのことにも、心の底では気づいていた。
◇
私もお土産に、尊師がおすすめしていた干しぶどうを一つ買った。それは、うっとりするような香りと甘みで、信じられないくらい美味しかった。
おわりに
この旅行が終わったあと、訪朝団同志は結婚し、中国の愛国歌とともに新郎新婦が入場し、北朝鮮のミサイル発射映像とともに閉会するという、かなり狂った披露宴をしていました。
尊師たちは帰ってしまいましたが、ウイグルの旅はもう少し続きます。次回は、ウイグルの果てでゾロアスター教の遺跡を探し、廃墟の温泉に入った話を書く予定です。
旅の写真は、twitter(@eli_elilema)にもあげているので、よかったら見てください。
◇
ウイグル情勢に関心がある方向けに、私が読んで良いと感じた本や最近のウイグル情勢に関する記事をいくつか挙げておきます。旅行に行ったのは2018年なのですが、当時より、今のほうが資料的な裏付けのある報道は増えているように思います。
◇
最後に、前回の旅行記にtwitter、はてな、noteでコメントをくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。こんなに感想をいただけるとは思っておらず、とても嬉しかったです。特に、はてなとnoteのサポートは、その存在に気づいたときはかなり衝撃を受けました。
はてなのコメントは一覧性が高いので何度も読み直しています。noteのサポートは、一つひとつを噛み締め、感謝しております……! 本当にありがとうございました。