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書き続けたその先に

 2020年にこのnoteを始め、3年以上が経ちました。書くことで、新たな発見があり、喜びがあり、その先に、夢のようにうれしい出来事が起きました。読んでくださったすべての方に感謝を込めて。


チラシの裏の物語

 子どもの頃から本が好きで、小学生になってからは図書室に通い詰め、さまざまな本を片端から読んでいた。小学2年生の頃だったと思うが、チラシの裏に猫が冒険する物語を書いていた。猫なんて飼ったこともないのに。6年生の頃に授業で書いたお話は、今も手元に残っている。

 中学生の頃には少女小説にハマり、同世代の主人公が出てくるお話やファンタジーなどを書こうとした。あまり学校には馴染めずにいたが、本好きの友達と書いたものを見せ合ったこともあった。その時の創作メモが今も残っている。高校では文芸部に入ろうとしたものの、いつ訪ねても部室に人がいなくて、結局、新聞部に入り、学校新聞を作る経験をした。

 大学は生まれ育った九州を出て、東京に進学した。志望した理由の一つに、卒業生に作家が多かったこともある。文芸専攻があるのにも惹かれていたが、少人数制の狭き門で、挑戦することを見送ってしまった。日本文学をしっかり学ぶのもいいかもと思い、日本文学専攻に進んだ。
 大学では文芸サークルをメインに活動しようと思っていたのだが、あまり雰囲気に馴染めず、運動音痴なのにテニスサークルで頑張っていた。大学生の時には短い小説をいくつか書いただけ。クラスメートが仲間を集め、作品集を作っていたのを眩しく見ていた。

殻を破れないままに

 大学の卒業を控え、出版業界やマスコミを中心に就職活動した。「作家になりたい」という夢は密かに胸にあったが、そんな大それた望みはすぐには叶わないからと、書くことにつながるような職を目指した。しかし中途半端な気持ちではうまくいくわけもなく、一つも内定がもらえない。地元に戻ることになり、縁あって文学関連の施設で、嘱託職員として社会人のスタートを切った。

 郷土の作家や作品を展示し、館長も前館長も作家で、文学に携わる方たちが訪れることも多い施設。豊かな文学の世界に触れ、貴重な体験を重ねた恵まれた環境だったと、今にして思う。

 そんな社会人1年目の年に、周囲に黙って応募した地域の文学賞に入賞した。周囲の方たちに一緒に喜んでいただき、さらに上を目指そうと考えた。それから毎年のように応募を続けたが、一つも結果につながらない。審査員の先生が「殻を破るといいのだが」とおっしゃっていたという言葉を人づてに聞いたものの、どのように書けばよいのか分からなくなっていった。

書けなかった日々を経て

 文学賞への応募を続ける一方で、書くことを仕事にしたいという気持ちから、アルバイト生活を経て、少しずつライターの仕事を始めるようになった。ライティング講座にも通い、情報紙の編集部に職を得た。その後、広告会社に移り、コピーについても学び始めた。

 編集やライターの仕事で書くことに取り組むうちに、仕事に関わる知識を得ることに一生懸命になり、創作からは遠ざかっていった。思い出したように小説に取り組んでも、最後まで書き切ることができず、途中で終わってしまう。次第にアイデアも浮かばなくなり、小説を書くことも無くなっていった。

 再び創作に取り組むようになったきっかけは、コロナ禍だった。学生時代の友人2人を誘って始めたこのnoteで、自由に書く楽しさを思い出し、人に読んでもらえる喜びを知った。オンラインで参加した講座をきっかけに、物語を書いていた自分、書きたいと思っていた自分を思い出す体験もした。

 その頃、お世話になっていた方に、「小説を書きたいと思っていた」と話したところ、「書けばいいじゃない」と言われた。本当にそうだ、小説を書きたかったはずなのに、書いていなかった。

書き続けたその先に

 このnoteで旅行記を書くようになってしばらくしてから、創作大賞の募集告知を見かけた。せっかくだから応募したいと思い、久しぶりに小説に挑戦することにした。随分前に書きかけたまま止まっていた小説の続きに取り組んだ。久しぶりに小説が書けてうれしくて、友人数名に送りつけてしまった。荒削りで読みにくかっただろうと、後になって反省した。応募作は落選したが、面白いと言ってくれる友達もいて、書く意欲が湧いた。

 それからいくつかの文学賞にも応募したが、一次すら通らない。作家やコピーライターの方のオンライン講座で、「体験からしか文章は生まれない」という話を聞き、薄っぺらい人生経験しかしていないと、絶望的な気分にもなった。私の人生、このまま終わっちゃうのかな、と虚しい気持ちにもなった。そんな時期に、夏目漱石の小説の続きを考える、という企画で入賞することができ、小さな自信になった。

 それからも書いては応募し、結果は出ない、ということが続いた。昨年夏に締め切りギリギリに駆け込みで応募した作品が、入賞したという知らせを受けたのは秋になってから。久しぶりに海外へ旅に出て、オーストラリア、シドニーのホテルにいる時だった。

 ちょうどこのnoteを一緒に作っているMihokoとの旅行で、一緒に受賞をお祝いした。入賞作の中から最優秀賞が選ばれる。応援してくれる人の思いが力になるのでは、そんな気がして、選考会を前に友人たちから応援の言葉をもらい、そわそわしながらその日を待った。

 残念ながらダメだったかな、いやでもまだわからない、とかすかな望みをつなぎ連絡を待つ。最優秀賞に選ばれたとの連絡を受けた後は、興奮のあまり、なかなか寝付けず、翌朝、寝過ごしてしまった。夢だったらどうしようと思いながら、スマホの履歴を確認した。
 それからも夢見心地な、ふわふわした気持ちが続いた。受賞作が活字になり、目にした時に、夢が現実になったと実感できるのかもしれない。

夢の入口に立っている

 「作家になりたい」という夢は、あまりにも大き過ぎて、口にしてはいけないような気がしていた。でも今回、発表の前日に、1年の抱負の一つとして、「作家になる」と書いた。次のページの一番目には、「感謝する」とも記した。自分が書いたものが活字になり、本に掲載されるという夢が叶う。応援してくれた人たちの顔が思い浮かぶ。感謝の気持ちでいっぱいだ。

 自分で書いた物語が世に出るというのはうれしく、それでいて、少し怖くて不思議な気持ちだ。受賞した小説は、2024年3月発売、文藝春秋社発行の文芸誌『文學界』4月号に掲載される。大げさかもしれないけれど、生きていてよかった、そう思った。

(Text:Shoko, Photo:Mihoko ©️elia)

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 第58回九州芸術祭文学賞の最優秀作に選んでいただきました。創作を再開できたきっかけの一つは、間違いなくこのnoteです。一緒に続け、私の書くものを読み、意見や感想をくれたeliaの2人と、noteの記事を読み、時にハートマークをつけてくれたみなさんと、関わってくれた全ての方たちに心から感謝します。

▼noteでご紹介いただけたのもうれしいです!


ご覧いただきありがとうございます。noteのおかげで旅の思い出を懐かしく振り返っています。サポートは旅の本を作ることを目標に、今後の活動費に役立てます。