見出し画像

「自分が我慢したら円満におさまる」わけないじゃん。それはただの自分を生きないための言い訳です。

何かをするときに「お互いの意思」をしっかり確認してから、進める。
ということの大切さを。
コミュニケーションの基礎を。
今更ながら学んでる。

私自身ずっと
ひとと「はなしあう」「相手が何を思い、感じているか」を知ることをせず
あまつさえも「自分の意思を伝える」
ということもできずに、
とにかくひととのコミュニケーション全てから逃げてきたなあ。と思っている。
相手が本当にそう思っているかの確認もせずに
思い込みで相手の心の中を推しはかり
きっとそうに違いないと
相手に嫌われないようにさまざまな選択と決定を繰り返してきた。

本当の相手と向き合い、
自分の頭で深く考えて、答えを出すということを避けてきたのだと思う。

日々の流れの中で深く考え始めたらタイムアップ。ということも往々にしてあって、忙しい!考える時間がない!!ということにして言い訳して、
ええい、もういい。突き進め。ということを繰り返してきたと思う。

あとね。同時にあるのは。

頭の中には幼少の頃の母の声。壊れたラジオのようなリフレイン。
「早くしなさい。グズだね。」この声がずっと聞こえていて、自分の中でこの声に従って生きてきた。誰かにずっとこう言われているんだというこの思い込み。

私はグズなので早くしなくてはいけない。=ゆっくり深く考えている暇はない=生存の危機を勝手に感じ取る=認知の誤り。

そんなことを繰り返して
そこに蓄積されて肥大化していくのは

思考の浅さ
選択肢の少なさ
トライアンドエラーの訓練を圧倒的にしてこなかったこと
面倒臭いという、自分を直視することからの、逃げ。
成長しない自分。


ひるがえって


あの光に包まれたような私の「魂の本質」は、
チャレンジ、深い思考、おもいきりたのしむこと
ひとと、心の底から笑い合うこと。幸せになること。
を望んでいて、そこに進みたがっていて、
そっちにエネルギーのベクトルは向いている。

しかし先述したように私の無意識は、ネガティブに「コミュニケーションやりたくない」「怖い」「面倒臭い」を選び「やらない」にエネルギーのベクトルが向いているので、そのエネルギー同士が綱引きみたいに同時に別方向に力を加えるからエネルギーは順行に向かわず身体はくたびれて、不調が勃発するんだと思う。


コミュニケーションへのあきらめ。


意識化では、「我慢したら円満におさまる」という意識が働いていた。
しかし、自分の本当に感じていることを「我慢し続ける」ということを無意識に続けていると、それは自分への負荷となり、いつしかどんどんと肥大化して抑えることができずに、身体のあちこちに不調をきたした。

そもそもそれは「私は我慢なんてしたくないんだ。もっと相手と愛しあいたいんだ」ということのあらわれ。

我慢したら円満におさまる、という認知は、よく見ると単なる逃げだ。
我慢して相手と対峙しない=自分は我慢を選ぶ=なんか知らんけど自分に罰を与えると、安心する、という危ないプレイ。

我慢すればことはおさまる

って思い込むってだいぶ危ない感覚なんだと、言葉にして書いてみると、一目瞭然・・・。
自分の意思を手放したふりして、相手に尽くしたふりして、
本当は自分の意思を伝えるということを放棄しているし
自分の意識を広げるということから逃げて、現状維持を保とうとしてる。
相手に対して信頼をしていないという失礼で、侮辱した態度で
同時に自分が無力で健気なふりをしている。


そしてここで絶対に大事にしたいのは


対極にある自分の可能性の種。


「あの光に包まれたような私の「魂の本質」は、
チャレンジ、深い思考、おもいきりたのしむこと
を望んでいて、そこに進みたがっていて、
そっちにエネルギーのベクトルは向いている。」


これが同時に起こっているから「病んでいく」。
これがそもそも皆無だったら、
魂の本質も、ネガティブなエネルギーの方向を向いていたら、
「順行」のまま、進んでいくのだろう。
きっと、ネガティブだから悪い、ポジティブだから良い、とかの話ではなくて。


私の中で起きる認知と、本来の魂由来の欲求が、別方向を向いて綱引きをしているから、私は、私を生きられない、をずっとやっていたのではないか。ということに、行き着いた。

自分のちからを信じて

私は、人と生きる。ということが幸せにできる世界を選んだので
最初はうまくいかなくても。これからは。
目の前の相手が何を欲し、何を感じているのか
何を目指しているのかしっかり向き合って
きちんと言葉を伝えていこうと思う。




人のエネルギーの輝き
光の正体は

『何のために必死に
生きようとしているか』です。

人は不思議なことに
「何かができる自分」
が好きです。

これができて
こんな地位があって
こんなふうに褒められて…

実際の行動レベルや
スキルは実は
そこまで光には
関係ありません。

それよりも
・どれだけ逆境でも
・自分にできるスキルや
 条件が不十分でも

『誰のために』
『何のために』
『命かけてでもやりたい』
『だってこれが大事だから』
と言い切れる力

そこに自分の人生の
全てを費やして
生きる様子が

人々の目を惹きつける
光のようなエネルギーの
発生源になります。

今できなくても
いずれできるように
死ぬ気で努力する

だって自分が望む
未来の光景は
その先に在るから

それを妥協して
これでいいやなんて
言いたくない!

そんな覚悟と行動力が
人々の心を動かす
エネルギーの渦のような
ものを生み出します。

またこのエネルギーは
自分側から観ると

『自分を支える軸』
『行動の判断基準』
に該当します。

軸がなくてぶれる
人生に悩む

という人は今一度

『誰のために』
『何のために』
『命かけてでもやりたい』
『だってこれが大事だから』

という自分の声を
思い出してみては
いかがでしょうか。

私は自分の観える力で
人々が悲しむ姿を観るたびに
何度でも同じことを思って
何度でも立ち上がります。

絶対にこれと同じ光景を
1つでも生み出さない

それが私のもつ強さの秘訣です。

私のもつ精神の強さや
エネルギーは
人から驚かれやすく

何か特別な力が…と
認識されがちですが
決してそんなものではなく

人が誰しもやり方を
習得すれば
発揮できる強さと
エネルギーを
使っているにすぎません。

だから誰にでも
習得が可能です。

私はその習得の仕方や
発揮の仕方に関する
智慧をもって
生まれてきただけです。

金子ひとみの言葉より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?