まるやま、「地球のために」良い人やめるってよ。
母性はどこに消えた?〜子どもを産まない私の母性の行方〜
やや古いパロディタイトルでスタートしました今回は
良い子を演じていた私が疲れ切った先に
なぜ良い子を演じていたのか
なぜ疲れ切っていたのか
現在私が今、どんな行動をしているのか
という、行動記録でお送りしようと思ってます。
突然ですが、結局2回の結婚を経て
1度も妊娠することのなかった私は
子どもを育てたことがないので
私には母性というものがないのか
というと。
いや、どうやらそうでもないらしい。
そう。母性がないどころか、
気がつくと私は、やたらに誰かの世話をしたがっていたのでした。
生物として、
女性としての子どもを産み、育てる、という機能を持つがゆえに
私のように子どもを産み育てていない場合
産み育てた人よりも「生き物のお世話したい欲求みたいなもの」に余剰が生まれ、それが溢れてダダ漏れているのかしら。と、思ったこともあったけれど、どうもそうではないらしい。それを差し引いてたとしてもおそらく私は不自然にいつも誰かのお世話をしたがっていた。
ここにあるその行動を分析してみたい。
「良い人」の作られ方
〜私の中のモンスターが作った「良い人」〜
この「お世話をしたい」という欲求。
純粋に相手に与えたい、誰かの役に立ちたい、という気持ちなのかどうかというと非常に怪しい。
例のごとく、「母性」を隠れ蓑に私の「恨みつらみ由来成分」が癒着し、
だいぶ歪んだ「欲求」が潜んでいたのだ。
これまでの私を考察するに、
誰に頼まれたでもなく(=妄想と忖度で行動)
「あの人は今きっとこれを欲しているだろう。」
と察して動く。
「この人はきっとこの言葉を欲しているだろう。」
と察して言葉をかける。
「こうして差し上げたらきっと喜ぶだろう」と
脊髄反射よろしく動きまくる。
くるくると
私が思い込み作り上げた
いい娘
いい妹
いい友
いい隣人
いい妻
いい嫁
いい叔母
いい部下
いい先輩
いい教え子
いい発注先
を、ずっと演じていた。
自分で作り上げているので、相手からしてみたら結構なとんちんかん。
いや、それ欲してないので。逆に結構なありがた迷惑な人。ということになることも往々にしてあったと思う。後から気がついて穴に入りたくなることもしばしば。
解体すると。ここには私の邪悪な感情と欲求が存在していて、
面倒なのは、「純粋な愛」もそこにブレンドされているという問題。
けどここで炙り出したいのは、邪悪な感情と欲求なので純粋な愛は横に置いておく。
この欲求が邪(よこしま)なものであるとわかってなかった私は、
かつて、「これは純粋な愛である」と信じ、2018年に群馬へ移住した当時、それが使命といわんばかりに人のためだという勘違いをベースに、いろんなイベントなどを企画しては、たくさんの人を集めて準備して、一人で背負ってくたびれ果てていた。
また一方で、あらゆる人にプレゼントを贈りまくり、誰かの出店があれば絶対に立ち寄り、そこで応援したい気持ちを全面に購入して身銭を切りまくっていた。
人から誘われたら120パーセントの出席率だった。
体力も財力も破綻寸前だった。
(そもそも身体を壊して移住したので、移住当時仕事はほとんでしていなかった)
さてさて。
この舞台の上には、「謝り倒す女」と「聖母マリアコスプレしたスネ夫」。そしてまさかの「ハクション大魔王」が登場する。
「良い人」仮面の下に
3人のネガティブなキャラクターを棲まわせていた
「良い人」という私が被りたい仮面の下には、
私のこの世が危険であるという幻の認識から身を護ろうと、次々に生まれたキャラクターを棲まわせていた。
彼女たちを紹介します。
【謝り倒す女】
「私がダメな子いらない子」=私が罰を受け入れ、動いたらこの場がおさまると誤認識して、ひとよりもいち早く、人がやりたがらない大変な仕事(であろう、と勝手に決めつけたその)を請け負おうとする。=罪悪感100%由来で生まれた人
【聖母マリアコスプレをしたスネ夫】
「私は世界中の人を愛している!」と豪語しながら、いつも本当は人間が怖くて死にそうなので顔がひきつっている。コスプレの中にいるのはスネ夫=「こんなに健気にこれやっておいたら、わたしきっと高評価!!」「これだけやっておけば問題ないだろう」とイヒイヒしながら姑息に笑っている。が、本心はビビり散らかして気絶しそう。
【おデブのハクション大魔王】
本当は、絶対的にやらなくてはいけないことがあるのに、それをやらない、を叶えるために、私のお役目ではないその人のお世話をする。という、わかりにくく摘発しにくい行動を取るふとっちょなおじさんキャラクター。面倒臭いのでやりたくない。といつも絶対的にやらなくてはいけないことを回避して楽な方に逃げようとする。やることをやらずに食べることに逃げる。そして自分の魂を汚す行動を取る。
私の仮面をつけた下には、これらのキャラクターがいつもいて、
誰かのお世話をしたい
という実態の裏にあるのは
私は私を絶対に生きない。そのために、別のやりやすいことをやって
私という票を稼ぐ。という私の歪んだ欲求がある。
この舞台にあがるこれらの役者が、私の中にいつも登場していて謎の矛盾を一斉に抱えて生きていた。
そんなわけで
私は
自分を騙して生きているので
いつも疲れていた。
いつも失敗を恐れていた。
いつも誰かのためにならないと死んだ方がまし。
と思い込んでいた。
地球のために生きるということ
そして今の私は、というと。
現在、在る森のはなしにアサインされ1年と4ヶ月経過。
当初、なんでもかんでも「私が!!!」と走り込んでスライディングして泥だらけになっている私を、メンバーは割と泳がせてくれていて、
私がだいぶ疲れ果てて動けなくなった頃に、みんなで一斉に仕留めてくれた、と記憶している。
これを、何度も、何度もやらせてもらっている。
恐怖を超えて、直視して、自分で手放せるその時まで。
やることあるのに、まかないを一生懸命つくるのやめてもらっていい?
やることあるのに、やらなくていいおでかけするのやめてらっていい?
やることあるのに、ダメ男のお世話に走るのやめてもらっていい?
とにかく私は「やること」からどんどん逃げる。逃げる。逃げる。
私の魂を生きること、を、なにかその邪(よこしま)な欲求たちはとにかく「邪魔して」「邪魔して」「邪魔しまくる」
そこを、冷静に、着実に、みんなが「現行犯逮捕」という名の、「丸山が、自分を生きるためにめちゃくちゃ大事な指摘」をしてくれて
「まるやま〜。そういうところだからな〜」と笑って、絶対私を嫌いにならず、絶対取り逃さずに、愛して注意しつづけてくれた1年4ヶ月。
最近では、ようやく毎日の暮らしのなかで
自分がそういうふうにすぐに「闇雲に人に差し出す」という行動を取ろうとする時、自分が自分に疑惑をかけた視線を送るようにしている。
気がついた時は、「ニヤ」っとすることができるくらいになっていて、
はいはい、ちょっとこっちきてごらんなさい。と、「ごめんなさい女」、「マリアスネ夫」「ハクション大魔王」を、一人ずつ、舞台から下ろして「ごめんね、もうね、君たちの出番ではないよ」と追い出すようにしている。
その後で、私は自分に問いかけるのだ。
「あなたは一体なにをしに生まれてきたの!?」と。
私には「やること」が、ある。
地球を1分1秒でも長く存続させるために
私は、私を整える。
私のネガティブな欲求まみれの状態で、地球を歩くことはできない。
私のネガティブな欲求まみれの状態で人に会ったら。
相手の方にも私のネガティブな波長を伝播させてしまう。
整った状態で本当に愛せる状態でしか人には会えないなあ。と、思っている。
相手と自分の命に最も大事な時間を過ごしたら良いのだ。
そうして私は、自分を整えて整えていつも笑っていられる状態で
相手の命が本当に美しいことを伝えられる写真を撮る!
の技術を淡々と磨く。という時間に命を費やすことに決めたのだ。
良い子を演じて、相手に合わせるのはもうやめた。
自分の毎日を整えて
機嫌良くこころからありがとう。が言える自分で生きていく。
(まだまだ、森のメンバーの力を借りながらなのだけれども。)
私の人生は、地球のもの。
私が自分の魂を、どう地球に還元するか、今がめっちゃ!大事な時期だな。って思って、日々仕事と向き合って暮らしている。
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