目の前にいる人の笑顔のために生きる
とことん自分で考えるということをせず
ちょっと舐めてみたくらいのことを
「じぶんで考えました」
とかなんとかのたまって
たいていそんなの自分のものにもなってなくて
ちっとも自分で考えたうちにはいらないままに
やった気になって
どこか悩みの解を外側に期待したまま
思考や仮説立てを繰り返して吟味することもせず
手探りながらの生きる道標を自分で見出さないままに
自分を生きるという
冒険の醍醐味を短縮してを放棄し
ヘラヘラと生きて
自分の中に生きるというすべを
自分で見出さずに他者に依存し続けた結果が
私の
いま である
自分が幸せになることは
自分で責任を持たなくてはならなかった
わたしは
自分を幸せにするということよりも
目の前にあらわれる
助けてほしい
と
訴えてくるその声を優先して生きてきた
人に優しくする
ということを優先したくて生きてきた
同時に
自分の「やりたくない」の声がそこに混じって
やらない言い訳をずっと言い続けてきた
なんならそれを
その助けてほしいという声の主のせいにして
人に優しくするということは
履き違えると狂気に変わり
相手が本来すべきこと
悩むべきこと
考えるべきこと
そこから生まれる可能性を
奪う
自分が本来すべきこと
とことん打ち込むべきことに費やすべき時間を
奪う
考え、やりきる を放棄した結果が
わたしの
今
人のせいにして、自分の思考停止のせいにして
無力なふりして
被害者意識ばかり強くて
わたしは
ただ
何もしない
怠け者だっただけだ
被害者の面して生きていただけだ
親のせいにして
環境のせいにして
人のせいにして
怒って
だからといって
いま
悲壮感にうしひしがれている暇こそない
ただ、ただ、
進むだけ
人に何かを乞う前に
自分の力で考えて進め
考える力を
ちゃんと自分でつけて進め
ただただ
目の前にいる
大好きな人の笑顔のために
純粋に生きる
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