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自分の身体は自分のもの。を、知る

自分の頭の中で

考え続けていると

「うわ!!!!!」と

突然雪崩が起きるかのように

「ああ!!!!!!!!そうかあ!!!!!!!!!!」

何かがスパークして

黒い塊みたいな

硬く

重く

痛い

暗い

何かが、

ぶわ!!!!!!!!!と霧散してどこかに飛んでいく

そんな体験があるみたいだ

そんな体験を

わたしはずっとしたことがなくて

自分のあたまで考えるって

こういうことなのか

と、これを40余年手放してなかったことにしていたのか・・・

ということに

愕然としてる

ここのところそんな感覚を掴むことを

いくつかするようになって

なんだか知らないけれど

そういう瞬間に、無性に涙が止まらなくなる

うれしくて、たのしくてっていう

そんな感覚

別にスパークした内容はそんな大したことないのかもしれない

いろんな瞬間にそれはやってくる

例えば

わたしは

学校に通ったりどこかの職場で技術を学んだり

したこともないような知識のなか

サラリーマン時代が広告業種だったということだけで

なんとか商業デザイナーを仕事にしているのだけれど

いろんなソフトをつかったり組み合わせたりして

デザインの仕事をしている中で

もうわからん、だめだ、あきらめよう

とおもっていたことだけど

いや、こうしたらできるかもしれない

いや、もっとこうしたらこうなるかもしれない

一旦リセットして全然違う方法からアプローチしてみよう

と、粘り強く考えるようになった

いままでは

ずっと

わたしには無理なんだ

だってバカなんだもん

どうせやっても同じ結果なんだもん

もう誰かに聞いたほうが早い

それか誰かにやってもらおう

(確かにタイパコスパを考えると

そのほうが経営判断的に◎ということは、

さもありなん

しかしその考えは一旦横においておく)

考えると頭がロックされたみたいに思考停止して

何も考えられなくなるし生活に支障をきたすからもう考えたくない

考えることを放棄するのが自分の自我が芽生えてからのデフォルトだった

それが

なんじゃこりゃ

ずっと考えていることの心地よさよ

考えてみた自分の仮説の中で

淡々と作業することの心地よさよ

こんな感覚になることを知らなかった

ずっと

誰かと一緒にいると

(あるいはいなくても思考の中に誰かがいると)

その人の感触感覚思考が

夕方から夜になるとき

部屋の中に闇が現れていくかのように

わたしのなかに

じんわり生まれてきて

痛い

苦しい

怒りに満ちる

怖い

悲しい

そういう感覚に囚われていた

ながいこと

それを知らなくて

それは自分のものだと思っていたので

どうしたらいのかどうしたらいいのかと

翻弄していた

(もちろん自分の中にそれをたくさんたくさん持っていたのも事実)

この不快感をどうにかしなくては

目の前のこの苦しんでいるひとをどうにかしなくては

とにかくそうやって生きてきた

そりゃ

自分の作業に没頭することなど

できるはずもない

というかまあ

それも逃げでありあきらめであり

自分を無力化し怠惰に生きてきた結果

だったんだけど

そうか

この感触

自分の作業に専念するってこういう感覚なのか・・・・・・・・

自分の脳みそつかうってこういう感覚なのか・・・・・・・・・

43歳と2ヶ月経ったわたし

はじめての感覚を経験する。

涙がとならなくなる

めちゃくちゃうれしい

めちゃくちゃたのしい

おめでとうわたし!


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